城西支部国際部 岡文偉

トランプ関税と万博パビリオンが示す警告

国際取引の世界は、時に予測不能な荒波に満ちています。長年築き上げられてきた信頼関係や国際ルールが、一瞬にして揺らぐことも珍しくありません。近年、その教訓を私たちに突きつけた象徴的な出来事が二つありました。

一つは、記憶に新しい大阪・関西万博における海外パビリオンの建設問題です。2025年7月25日NHKWebトップに「万博 海外パビリオンで「未払い」下請け業者19社が訴え なぜ?」という記事が報じられました。NHKの調査では7カ国の工事に携わった少なくとも19社、金額は1社あたり多いところで1億円以上に上り、発注元は「事実と異なる」など未払いを否定しており、解決の糸口は見つかっていません。公共事業に詳しい筑波大学の楠茂樹教授は「資材価格や人手不足による人件費の高騰の影響で工期が短くなり、契約内容を詰められないまま工事を進めたことがトラブルにつながっているのではないか。また、発注者や元請け業者が外国の政府や企業の場合、日本の取り引きの慣行や法制度に精通しておらず、契約の考え方が下請け業者と違っていた可能性がある。コミュニケーションのギャップがあったのではないか」と未払いの訴えが相次いでいる背景について、工期の短さと、海外企業との認識の違いを指摘しています。

もう一つは、トランプ米大統領が発動した相互関税をめぐる日米政府の動きです。特例措置の適応が日米間で合意されたにもかかわらず8/8現在履行されていません。「明星大の細川昌彦教授は、日米間で合意に関する文書を作らなかったことが、一連の混乱につながったと指摘する。」と8/7付の産経新聞で報じられています。

これらの事例が示すのは、国際取引において、口頭での約束や相互の信頼だけに頼ることの危険性です。文化や商習慣、そして法律が異なる相手と取引する際には、すべての合意事項を詳細かつ厳格に文書として明文化することが、自社を守り、トラブルを未然に防ぐための唯一の道なのです。このコラムでは、こうした現実を踏まえ、国際取引における契約書の重要性と企業が特に注意すべきポイントについて解説していきます。

 

日本の常識が通用しない「国際取引の壁」

海外企業との新たな取引を開始する際、多くの日本企業は、これまでの国内でのビジネス経験を無意識のうちに持ち込んでしまいがちです。しかし、国際取引の世界では、日本の常識が通用しないことが多々あります。その最大の壁となるのが、「契約」に対する根本的な考え方の違いです。

日本では、口頭での約束や商習慣、そして何より信頼関係がビジネスの基盤となることが少なくありません。一度信頼関係が構築されれば、細かい契約書がなくてもスムーズに取引が進むことが美徳とされる文化すら存在します。

しかし、国際取引の現場では、このような考え方は通用しません。口頭での約束や「暗黙の了解」は、法的拘束力を持たないと見なされるのが一般的です。例えば最終納品前の手直しでの追加料金の発生や、機械購入時の据え置きが料金に含まれていなかったなど契約条件のすれ違いが起こるケースです。

口頭での合意が持つ潜在的なリスクとは対照的に、合意内容を文書として明文化することは、国際貿易における不確実性を取り除き、安心感と信頼関係を築くための強固な基盤となります。このプロセスは、単なる事務的な手続きではなく、将来にわたる健全な関係を構築するための戦略的な行為と言えます。

 

明文化のメリット

第一のメリットは、解釈の統一です。契約書や協定書に言葉の定義、責任範囲、履行期限、そして違反した場合の罰則まで、詳細かつ具体的に明記することで、両当事者が同じ認識を共有できます。例えば、「品質保証」という一見シンプルな言葉でも、文書に「納品後3ヶ月以内に判明した製造上の欠陥に限り、無償で修理または交換を行う」といった具体的な条件を書き加えることで、曖昧さが解消されます。これにより、将来的な誤解や認識のズレを防ぎ、交渉の場で交わされた意図が、時間や担当者の変更を超えて維持されます。

第二に、明文化は法的・商業的な予測可能性を飛躍的に向上させます。明確なルールが確立されることで、企業は将来の事業計画を立てやすくなります。どのような状況で何が起き、どのような対応が求められるかが事前に分かっていれば、不測の事態に備えたリスク管理も容易になります。これは、特に長期にわたる大規模なプロジェクトや、多額の投資を伴う取引において極めて重要です。文書化されたルールは、企業の経営判断に確実な根拠を与え、不確実な未来への羅針盤となります。

第三に、そして最も重要なのが、明文化が信頼の礎となることです。合意内容を正確に文書化し、署名することは、相手方に対する敬意と誠意を示す行為に他なりません。「我々はあなたの言葉を真摯に受け止め、この約束を尊重し、責任をもって履行します」という強い意思表示です。これは、単に取引を成立させるだけでなく、長期的なパートナーシップを築く上で欠かせない要素です。お互いがルールを遵守し、文書に記載された合意に忠実であると認識することで、不信感の入り込む余地は減少し、より強固な協力関係が育まれます。

国際貿易において明文化は、一時的な利害を超えて、両者が互いに安心して取引を行い、協力関係を継続させるための不可欠な要素です。口頭での約束が、いつ崩れるかわからない砂上の楼閣だとすれば、明文化された合意は、どんな嵐にも耐えうる強固な岩盤なのです。この岩盤の上にこそ、持続可能で繁栄した国際関係を築くことができるのです。

 

企業が陥りがちな契約の落とし穴と対策

国際取引は、新たなビジネスチャンスをもたらしますが、ひとたびトラブルが起こると多大な費用と労力が必要になります。トラブルを未然に防ぐための対策をいくつか記載します。

1.前提として提示された契約書をそのまま受け入れないことが重要

海外企業は契約書の重要性を理解しているケースが多いため、自社にとって都合のよい内容を反映した契約書を提示してくる可能性が高く契約内容をそのまま受け入れることは自社にとって不利な契約条件を結ぶ可能性が高くなります。内容をよく精査した上で必要に応じて粘り強く交渉することが重要です。

2.トラブルが発生することを想定し準拠法と紛争解決方法を確認する

契約書において最も重要な項目の一つが、準拠法(Governing Law)です。これは、契約に関する紛争が起きた際に、どの国の法律に基づいて解決するかを定めるものです。自社のビジネス環境や法務体制に慣れた自国の法律を準拠法として指定できれば理想的です。相手国の法律を安易に受け入れてしまうと、トラブル発生時に予期せぬ不利益を被る可能性があります。

また、紛争解決方法(Dispute Resolution)も重要です。国際的な裁判は時間と費用がかかる上、執行が困難な場合もあります。そのため、仲裁(Arbitration)という、中立的な第三者機関に判断を委ねる方法を選択することも一般的です。契約書に仲裁条項を盛り込むことで、紛争を迅速に解決できるメリットがあります。

3. 支払い条件と支払い保証の確保

今回の万博パビリオンの事例が示すように、支払いに関するトラブルは国際取引で頻繁に発生します。これを防ぐためには、支払い条件を厳格に明文化することが不可欠です。

・支払いタイミング: 前払金、中間金、残金といった支払いスケジュールを具体的に定める。

・支払い保証: 相手の信用度が不確かな場合は、銀行からの信用状(Letter of Credit)や銀行保証(Bank Guarantee)などを求めることで、支払いリスクを軽減できます。

4. 知的財産権と責任範囲の明確化

技術提携や共同開発を行う際、自社の技術やノウハウを守るために、知的財産権(Intellectual Property)の帰属を明確に定める必要があります。特許や著作権、商標権がどちらに帰属するのか、共有する場合はその範囲や利用条件を詳細に明文化しなければ、将来的に法廷闘争に発展しかねません。

また、万が一、契約違反や製品の欠陥によって損害が発生した場合に備え、責任制限(Limitation of Liability)条項を設けておくことも重要です。損害賠償の範囲や上限額を具体的に定めることで、自社のリスクを限定することができます。

これらのポイントは、契約書に盛り込むべき基本的な項目です。相手に提示された契約書をそのまま受け入れるのではなく、自社の利益を守るために、一つひとつの条項を丁寧に確認し、交渉する姿勢が国際取引の成功には不可欠なのです。

 

未来志向の国際貿易と明文化という羅針盤

国際取引の舞台では、予期せぬ困難が常に立ちはだかります。トランプ政権による関税措置や、万博パビリオンの支払いトラブルが示すように長年築き上げられてきたはずの国際ルールや慣習は、時に脆く崩れ去る現実があります。こうした不確実な時代において企業が自社を守り成長を続けるためには、明文化された契約書という確固たる基盤が不可欠です。

契約書は単なるビジネス文書ではありません。それは、言語や文化、そして法律の壁を越え、両者の権利と義務を明確にする唯一のツールです。口頭での約束や暗黙の了解に頼ることは、いつ崩れるか分からない砂上の楼閣に過ぎません。しかし、詳細にわたって明文化された契約書は、予期せぬトラブルを未然に防ぎ、紛争が発生した際も公正な解決へと導く羅針盤となります。

国際取引における契約の厳格な明文化は、単なるリスク管理ではありません。それは、相手企業に対する敬意と誠意を示す行為であり、信頼に基づいた長期的なパートナーシップを築くための未来への投資となります。

予測不能な国際情勢の海を安全に航海するために、私たちは明文化という羅針盤を手に、世界と向き合うことで、日本企業はグローバル社会で確固たる信頼を築き持続可能な成長を遂げることができるでしょう。

以上

【出典】

NHK WEB社会面トップ「万博工事で“未払い”」2025年7月25日

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250725/k10014874011000.html

産経新聞WEB「日米、トランプ関税で食い違い表面化 合意文書なしが裏目、石破首相の責任論に発展も」2025年8月7日

https://www.sankei.com/article/20250807-3TTQV2D4KJPA5EPFEKH6KCHCYY/