2020.09.30

ドイツ・デュッセルドルフ駐在時代を振り返って

                            城西支部国際部
山崎薫

私は以前消費財企業に勤めていた際、主に海外マーケティング、海外営業の業務に携わっており、2012年9月から2017年3月までデュッセルドルフに駐在しておりました。その際の経験や実感したことを以下の通り書いてみました。(コロナ以前のことですので今おかれている状況とは異なると思いますので、その点はご了承ください。)

1) 駐在員にとってのデュッセルドルフ:

市内及び周辺地域で8,000人の日本人駐在員及びその家族、留学生(音楽関係が多い)などが暮らしています。バブルのころは12,000人までになり、その後リーマンショックで4,000人まで減少し、2012/3年ごろには8,000人まで戻しておりました。デュッセルドルフは人口58万人程度で街もこじんまりしており、中心部には日系レストラン、居酒屋、ラーメン店が集積しています。社会科の授業ででてきたルール工業地帯にも属しており、60年以上前から石炭・鉄鋼産業関連の機械メーカー、商社を中心に日本企業が進出しておりました。デュッセルドルフ日本商工会議所は1966年に設立されて50年以上たっており、街に日系企業が根付いている印象です。ドイツ人の知り合いの中にも家族や友人が日系企業で働いている人は珍しくありません。
ヨーロッパの駐在というと大都市のパリやロンドンが頭に浮かびますが、観光地のため物価も高く人通りも多く賑やかな街です。一方デュッセルドルフは産業都市であり町並みは静かです。またドイツ人はとても親日的で駐在員にとっての生活のしやすさはヨーロッパNo.1ではないかと思います。

2) ドイツでの生活:

幸い高校生の長女を含めて家族帯同だったためインターナショナルスクールの父兄の友人、近所の外国人の友人、駐在員仲間と様々な方々と知り合うことができ、その中で色々な経験が得られました。一番驚いたのはドイツ人の休暇の取り方です。ドイツでは病欠とは別に年間30日の有給休暇が与えられます。これは年度内に取得義務があります。従いまして一年中彼らは次の休暇はどこに行くという話をしています。また病欠の際有給を使うことはないので風邪で1週間休んだ後1週間スキーでそのまま休む、2週間後スキー焼けして出社ということも平気でおこります。お医者さんの中には「何日休みたいの?」と患者さんに聞いて、それに合わせて診断書を書く人もいます。また日本人の平均年間労働時間が1,680時間に対しドイツ人は1,363時間です。(彼らの労働時間は日本人より1.5か月短い!)しかしながら一人当たりのGDPは日本US$42,823、ドイツUS$ 53,849と付加価値・効率性の差は明らかです。彼らのはっきりした公私の切り替えと、何としても休暇前に仕事を終わらせるという気合は驚くとともにうらやましくもありました。

3) ドイツ人社長:

私の赴任した先は従業員80名、工場に130名、合計210名で日本人は私一人でした。かなり珍しいケースです。社長は前社長が他の企業から引っ張ってきた人間ですが、いかにもメルセデスのトラックのようなドイツ人という感じでした。私が赴任して3-4か月たつと、「クリスマス休暇はどうするんだ、しっかり休みをとれ、3日とか4日とちまちました休みはとるな、2週間ぐらいまとまって休めと言われました。」後にも先にも2週間まとまって休めと上司からいわれたのはこの社長だけです。
 ある時、私が東京への月例報告書作成のためのイギリス、フランス、ドイツ、イタリアの営業所長に毎月のセールスレポートを依頼しているのが発覚すると社長から怒られました。「彼らは山崎が東京へ報告書を書くために営業所長をしているわけではない。客と会って商談するためにいるのだ。レポートの必要があれば彼らに電話して販売状況を聞けばよい。」ということです。営業の前線の人間に余計な仕事をさせるということをすごく嫌っていました。
またある時東京の会議で、「20名参加、10名は寝ている、5名は聞いてるだけ何も言わない、発言するのは残りの5名。なら最初から5名だけ会議によべばよい。無駄なことはするな。」と言われました。
ある新製品のプロジェクトの際には 「山﨑、7割OKだと思えばGOしろ。それを9割にするため、さらに調べたり、資料を追加・修正したりと無駄な時間を使うな。」と言われました。さっさとGOをかけて間違いに気づいたらその時修正すればよいということです。
無駄な仕事は嫌い効率重視、スピード重視、本社との軋轢などなんのその、ノイズを起こすことこそ自分の仕事だと言わんばかりでした。(本社との間に入った私は時々胃が痛くなりましたが。)


(イスタンブールでの年間予算会議の時の写真です。2013年6月)

東京に帰任するとドイツの仕事は日本に比べ少し雑な面はありますが、あのスピード感、目標を達成しようという意思の強さ、EU/中東/東欧/一部アフリカ地域と広大な市場を開拓していく躍動感は市場が縮小している日本にないものだったと実感しました。今でも時々懐かしく思います。

                             以上