城西支部 国際部

中川卓也

筆者がこの原稿を書いている5月末時点は、ようやくコロナ感染の緊急事態宣言が解除され、長かった自宅待機から解放されたところです。マスクを着用し三密を回避しつつも街に出かけようかという人も現れ、街は少し賑わいが戻って来ました。筆者は緊急事態宣言の最中に危機対応のセーフティネット保証の窓口担当に出かけていましたが、帰宅後のうがいには出がらしのお茶を代用し、ストレス緩和のために中国で購入したお茶を飲んでいました。古来、お茶は飲み物と言うより薬として用いられていたとあり、それに倣ったつもりです。

筆者の祖母がお茶の問屋を商っていたこともあり、お茶には幼少の頃より特別な関心を持っておりました。その後中国に赴任し、様々なお茶を試飲していました。今回は、このお茶という身近に在りながら底知れぬ世界を持つ飲み物のほんの入り口について述べてみようと思います。

1.お茶の始まりについて

お茶の樹は、元々雲南省や貴州省、四川省辺りの山間部に自生していたツバキ科の常緑樹です。先日のNHKの番組では、雲南省が原産地として紹介していました。

この樹葉が、どのようにして現在の飲み物となったのかは諸説あります。古くは、紀元前2700年頃の天地開闢の時中国に三人の皇帝、伏氏、女媧氏、炎帝神農が現れます。百草を嘗めて医薬を作った薬の神様炎帝神農が渇きを癒すためお湯を沸かしていたところ、鍋の中に周囲に生えていたお茶の葉が数枚落ちて来てきた。その湯を飲んだところ、とても爽やかで良い味がしたことがお茶の発見と言われ、神農は毒草に当たった際の解毒にお茶を飲んでいたとされています。お茶が文献に現れるのは前漢の宣帝の時代(紀元前50年頃)とも、その後の三国志(3世紀頃)とも言われており、文献により異なっているようです。吉川英二作の小説「三国志」において、若き劉備玄徳が長年蓆簾を売り貯めたお金で母親のためにお茶を買うべく、黄河のほとりで洛陽船を待っている風景が描かれています。これから始まるドラマを感じさせる名場面です。

やがて唐代(7世紀~10世紀)に入り、お茶の栽培が中国全土に広がり、唐代の文人陸羽が「茶経」を著し、お茶の植生、用途、製造方法、お茶の入れ方や道具に亘るまで、お茶の全てを解説しました。陸羽はお茶の神様とも言われ、香港には陸羽の名を関した「陸羽茶室」という有名な飲茶店があります。

中国に発したお茶は、周辺の国々に広がり、西はチベット、中央アジア、中東のイラン・イラク、更にアフリカ北岸に及び、東は朝鮮半島、日本、北はモンゴル、シベリアと東アジア全体に広がっていくのです。宋(10世紀~13世紀)の時代には、お茶は王侯貴族の嗜好品から市民の富裕層に広がり、茶を嗜みながら詩を吟じたり書を嗜んだりと喫茶は文化活動の側面を持つようになりました。

日本にお茶が伝わったのは、平安時代、遣唐使が唐との間を往来していた時代に、最澄や空海などの留学生がお茶を持ち帰ったことが始まりとされています。「日本後記」(815年)に大僧都永忠が嵯峨天皇にお茶を煎じて賜ったと記述されているのが最初の記述と言われています。その後鎌倉時代に入り、栄西禅師がお茶の種を持ち帰り、お茶の効用やお茶の製法を伝え、「喫茶養生気」(1214年)を著しました。

お茶がヨーロッパに伝わったのは、更に時代を下った1610年、オランダ東インド会社がマカオや日本の平戸から緑茶を買い付け、インドネシア(ジャワのバンタム)経由でヨーロッパに転送したことから始まります。注目すべきは、最初に送られたのは紅茶ではなく何と緑茶であったことです。それが、いつから紅茶に替ったのかは、例によって諸説あります。一つは船での運搬中に偶然発酵したとの説。これは作り話とされています。二つ目は、中国人から買い付ける際に安物のくず緑茶を掴まされヨーロッパに運ばれたが、意外にヨーロッパでは好まれたという、くず茶ダマされ説。三つ目は、福建省北部の武夷山で作られた発酵茶が紅茶の元祖であると言う説。「正山小種」(正しく武夷山で生産された希少な茶葉の意味)が紅茶の元祖との説。と色々言われているらしいですが、ヨーロッパの油っぽい料理には、確かに緑茶より発酵茶である紅茶の方が合っていると思われます。最初は緑茶を輸入していたものの、ヨーロッパの食生活には発酵茶が合っていたのではないでしょうか。やがてこれらのお茶がオランダ、ポルトガル宮廷に広まり、オランダ商人がイギリスに持ち込んだところ大人気となりました。イギリスはオランダからの輸入を嫌い、自力輸入欲と東洋への憧れが相まって海洋進出を後押しすることになりました。この結果、ご存知のとおりスペイン、オランダ、ポルトガルとの東洋交易の覇権争いとなり、最後は大英帝国が海の覇者として君臨することになった訳です。

2.お茶の種類

お茶の発祥国である中国には数百種類にも及ぶお茶が楽しまれています。これを発酵度により大きく「緑茶、白茶、黄茶、青茶、紅茶、黒茶」の6つに分類し6大茶と呼ばれており、これに花茶を入れて7大茶とされています。以下に簡単にその特長を記しておきます。

(1)緑茶

中国茶の中で発酵させていない「不発酵茶」で茶葉を摘んだ後、窯で炒ることにより発酵を止める処理を行います。日本の緑茶のように揉茶を行わないため、茶葉は平たい形をしているものが多いです。味は非常に繊細で色も日本茶ほど濃くなく極淡い黄緑色をしています。中国のお茶消費量の8割が緑茶で、庶民が日常空き瓶に茶葉を入れてペットボトル代わりに飲んでいるのを目にします。筆者が飲んで印象に残っているのは、遥か昔、財界人の団体のお付き役を仰せつかり、人民大会堂での鄧小平との謁見に陪席させて頂く機会がありました。その時にガラスコップに数枚の緑茶葉が入っただけのお茶を供されましたが、この味が今でも思い出されるくらい美味しかったのを覚えています。この歴史上偉大な指導者の姿を遥か遠くに拝見する貴重な機会となりました。有名な銘柄では、杭州特産の「龍井茶」、安徽省の名峰黄山産の「黄山毛峰茶」、江蘇省太湖の「碧螺春」などです。お茶全般に言えることですが、特に緑茶は非常に繊細な味ですので、水を選びます。上海の茶舗で試飲した時は上海の水道水の泥臭により全く飲めたものではありませんでした。

(2)白茶

茶葉が芽吹いて産毛が取れない内に採取してごく浅い発酵段階で自然乾燥させて作られる中国茶の一種で、福建省が産地です。最も古い歴史を持つと言われており、2000年以上前から生産されていたと言われており中国の歴史を感じさせます。ポリフェノールなどの刺激成分がなく「血糖値」「血圧」「コレステロール」を下げる薬効があると言われています。代表的な銘柄は、「白豪銀針」「白牡丹」「寿眉」などがありますが、筆者は「白豪銀針」以外は飲んだことがありません。茶葉に薄い産毛が残っている美しい茶葉の形状をしています。これも緑茶同様繊細な味わいです。

(3)黄茶

黄茶は製造工程が複雑で手間が掛かるため生産量が非常に少なく手に入りにくいお茶であり、紅楼夢に取り上げられているとか白居易が好んだとか言われており宮廷御用達になった高級茶です。代表的な銘柄は、「君山銀針」「蒙頂黄芽」「霍山黄大茶」などがあるそうですが、価格が高く残念ながら筆者は飲んだことはありません。

(4)青茶

烏龍茶や鉄観音など我々日本人に馴染みの深い中国茶です。茶葉を発酵している途中で加熱し発酵を途中で止めた半発酵茶で、発酵の度合いによって香りや味わいに大きな差があります。福建省が代表的産地ですが、文化大革命を逃れ台湾に渡った福建の茶農家が茶葉の生産を始め、台湾独自の質の高い青茶が生産されています。代表的銘柄は、凍頂烏龍茶、東方美人、鉄観音、武夷岩茶などが挙げられます。筆者は北京駐在時に「馬連道」というお茶問屋の大集積地に店を持つ岩茶専門店と縁があり親しくなったため、色々な青茶を試飲させてもらいました。「馬連道」は北京の南方、北京西駅の南の500mくらいの道の両側に数百軒のお茶問屋が集積しており、「京城茶葉第一街」を自称しています。岩茶や緑茶・プーアル茶などの専門店が軒を連ねでおり、茶葉のほか茶道具なども販売しています。市中の茶舗よりかなり安く手に入り、親しくなると採算度外視で色々なお茶を味あわせてくれます。ただし中国語は必須です。

(5)黒茶

黒茶は、緑茶と製茶までの工程はほとんど同じなのですが、製茶後に湿った茶葉を高温多湿の場所に寝かせ麹菌の力で発酵させる「後発酵茶」に分類されます。長期保存が可能で、ワインやウィスキーと同じように古ければ古いほど味がなめらかになるためヴィンテージものが珍重されます。代表的銘柄はプーアル茶(普洱茶)ですが、形はカチカチの四角い煉瓦状(磚茶)や鏡餅のよう形(餅茶)に固められています。筆者が雲南省に出かけた時には街の茶舗はプーアル茶一色で、店の奥にはそれこそ何十年物と思われる黒い塊が保管されており、非常に高価な値段が付いていた記憶があります。

プーアル茶と言えば香港の飲茶を思い出します。お茶単独で飲むとやや癖がありますが飲茶料理の油を流すにはこのプーアル茶がぴったりで病みつきになります。香港のおじさんが点心をつまみプーアル茶をすすりながらゆっくりと新聞を読んでいた良き香港の風景を思い出します。

(6)紅茶

最後は世界で最も消費されているお茶、紅茶で終わりたいと思います。上述のとおり、紅茶を最初に嗜んでいたのはオランダ人で、イギリスでは1650年代まではその習慣はありませんでした。1662年にポルトガルの王女キャサリンがイギリス王室に嫁いだ時に、当時貴重品であったお茶と砂糖を大量に持ち込み、その金力を見せるべく茶会を開いたことが契機となりイギリス貴族社会の大ブームとなりました。やがてイギリスはオランダのお茶輸入の権益を狙い第三次英蘭戦争(1672年~1674年)を起こし勝利します。イギリスは福建省アモイを拠点にお茶の輸入を開始しますが、福建のお茶は上述のとおり紅茶に似た武夷岩茶(半発酵茶)であった訳です。その後イギリス東インド会社が市民にも中国茶を広めお茶の消費は拡大していきます。18世紀に入ると、紅茶商人トマス・トワイニングがコーヒーハウス(当時の喫茶店)でお茶を提供したところ、人気を博し紅茶の消費量は更に増えます。19世紀のヴィクトリア朝時代には紅茶文化が絶頂期を迎え、アフタヌーンティーやティーセットなどイギリスの紅茶文化が花開いた訳です。19世紀にインドでアッサム茶やダージリン茶が発見され、更にトマス・リプトンによりセイロン(現スリランカ)で大規模にセイロン茶が生産されるようになり中国を上回る一大生産地になりました。中国紅茶には、祁門(キーマン)紅茶、雲南紅茶がありますが、砂糖を入れて飲まれることはありません。筆者には、同じ紅茶でありながらイギリス紅茶とは異なる中国独特の風味が感じられました。文化の違いは求める風味も変わるものだと改めて感じた次第です。映画「相棒」の杉下右京(水谷豊)が高級そうなティーカップで紅茶を飲むのは、やはりコナン・ドイルやアガサ・クリスティーがイギリス文化から生まれて来たことを暗示しているのでしょう。

3.お茶の薬効

上述のとおりお茶はその昔は薬と考えられてきました。緑茶のカテキンは、抗インフルエンザ作用があるほか、コレステロール抑制作用、がん予防や抗酸化作用が認められます。緑茶でのうがいは殺菌効果があるとも。茶葉は発酵するとビタミンやミネラルは減少するものの、カテキンはポリフェノールの一種を生成し糖尿病や血圧抑制効果、がん予防、痩身効果があると言われています。

それらの効果は長い間習慣的に服用して初めて認められるものだとは思いますが、経験上即効性のあるのはリラックス効果です。喫茶は気持ちを落ち着かせ、特に飲み終わった後の茶杯に残った香りには、得も言われぬリラックス効果があります。俗に「お茶酔い」と言われるほどの脳を癒す効果があります。騙されたと思って一度お試し下さい。

4.最後に

以上、駆け足でお茶の世界を覗いてきて紙面が尽きてきましたが、まだお茶の道具については全く触れていません。これも話出すと際限のない世界です。日本の戦国武将は茶道具で戦を始めたくらいですが、庶民はそこまではとても行きません。しかし茶杯、茶壷などなど茶舗を冷やかしで見て回っても楽しいものです。ティーポットやティーカップ選びと同じです。

また、お茶の入れ方、茶芸についても奥深いものがあります。日本の侘び寂びや禅精神を表現された茶道とは全くことなりますが、それはそれで面白いものです。台湾や本土の茶芸館で美人の服務員が見事なお点前でお茶を入れてくれると風味まで違って来ます。

お茶は洋の東西を問わず、ワインと同じく王侯貴族、富裕層の世界です。お茶の葉にしても黄金より高い値が付く茶葉もあるくらいです。茶道具も然り。しかし、庶民と雖もその門は開かれています。懐具合に合わせて自分なりに楽しむことは何びとと謂えども自由です。

世の中がコロナ禍で大乱の様相を示している中、今日一日現世を離れお茶の世界に浸ってみました。ご容赦ください。

以上