#14 しらさぎふれあい助産院 院長 木村恵子 さん
院長の木村さんの経歴には誰もが驚きます。短大卒業後は会社員として働き、第二子、第三子を助産院で出産した後、助産師を志しました。41歳で看護大学入学、45歳で看護師・保健師・助産師となり各地で経験を積んだのち、2015年にしらさぎふれあい助産院を開業。現在は、産後の母親の心身の回復をサポートする産後ケアサービスを中心に、自然なお産、育児相談などを行っています。
木村さんがそれまでのキャリアを180度転換し助産師を目指したのはなぜか。自宅でひとりで始めた助産院を総勢60名の従業員を擁するまでに成長させたパワーの源は何なのか。東京都中野区で助産院を営む木村さんにお話を聞きました。
31歳にして助産師を志す
- 木村さんは、ご自身が助産院での出産を経験した直後、幸せなお産を多くの人に経験してほしいと考えて助産師を目指したそうですね。それまでのキャリアを一変させてしまうほどの幸せな体験とは一体どんなものだったのですか?
木村 それはもう、価値観が一変するような驚くべき経験でした。多くの人が知らないことなのですが、自然なお産と、帝王切開や無痛分娩でのお産とでは、妊婦に及ぼす影響が全く違うのを知っていますか?
- いえ、初めて聞きました。どう違うのですか?
木村 自然なお産では、別名「幸せホルモン」とも呼ばれるオキシトシンが下垂体後葉から分泌され陣痛を引き起こすのですが、この時オキシトシンは脳そのものにも影響を与え、妊婦を愛情にあふれた幸せな感情で満たします。私が出産の時に経験したのがこの例えようのない幸せな感情だったんです。
- それで助産師に?
木村 そうです(笑)。その時の私は何の専門知識もなかったのに、とにかく自己肯定感であふれてしまって、みんなにもこの幸せを味わって欲しいから私もやりたい!と思ってしまったんです。
- でもそれが原動力となって看護大学にも行き、その時の思いを実現してしまいましたよね。
木村 実は一念発起したものの、しばらくはどう動いていいのかわからず、やっぱり無理かなあなどと迷っていたんです。8年後にもう一度助産院で幸せなお産をしたことが私の背中を押してくれましたけど。
なぜいま産後ケアが注目されるのか
- 母子保健法が改正され、2021年4月から産後の援助を必要とする人への産後ケアの実施が市町村の努力義務とされるなど、産後ケアが注目されていますね。
木村 私もこういうサービスがあったらいいなとずっと思っていたので、この動向はとても喜ばしく思います。
- 背景には何があるのでしょうか。
木村 ひとつは、家族の在り方が変わってきていることです。 昔は里帰り出産が多く、妊婦さんの母親が、出産する娘や産まれた孫の世話をすることが多かったですし、同居している場合はその後の育児も手伝うケースが多かった。ところが、昨今は核家族化や働き方の変化によって、近くの病院で出産して退院後は自宅でそのまま子育てをするケースが増えていて、コロナ禍でそれに拍車がかかりました。
さらに、出産年齢が上がったために妊婦の親世代も高齢化し育児に参加する体力がない。逆に、元気な方は仕事を持っていて育児に関わる時間がなかったりします。
- なるほど。それで、人に助けを求められない状況で苦しむママたちを援助しようという動きが高まっているんですね。
木村 もうひとつの背景として、お産が変わってきていることがあります。
病院やクリニックでも自然分娩を大切にしているところでの出産はオキシトシンカクテル(オキシトシンなどのホルモンが大量に分泌されること)が起きやすい。オキシトシンカクテルが起きていれば、ママ自身から愛情が湧き出して溢れ出るかのように子供に愛情を注ぐことができるのですが、その機会が減ってきているんです。
自然分娩を行なった方からよく聞くのは、幸せな気持ちになると共に、こんなにしてもらったから恩返しをしたいと思うのだそうです。まさに、かつての私のように自己肯定感で満たされて、自分は普通の人間だけど社会のために何かしたいと感じるそうです。
- 幸せなお産の効果ってこんなにもすごいもので、科学的にも説明可能なものだったのですね。知りませんでした。
木村 ところが最近は帝王切開や無痛分娩が増え、オキシトシンカクテルを体験しないママも増えています。中には、それで育児に気持ちが向かない、子供が可愛いと思えないといった感情につながることもあり、産後うつに発展してしまうケースもあります。
-様々な事情で自然分娩が行えない人もいますが、お産の時にオキシトシンカクテルを経験しなかった人には幸せホルモンを経験するチャンスはもうないのでしょうか。
木村 実はオキシトシンがたくさん出る機会はまだあるんです。それが授乳です。また、出産や授乳時ほどではなくても、産後ケアなどでママが大事にされる経験をし、リラックスすることでも分泌が促されます。だから産後ケアが大事になってくるわけです。
自然なお産や産後ケアでまた産みたいと思う人が増えればお産が増え、育児も愛情を持って楽しくできます。ママがハッピーなら赤ちゃんもパパもおばあちゃんもおじいちゃんも、近所の人もみんなにハッピーが伝わる。私は「幸せな産前・お産・産後が地球を救う」と思っているんですが、それはそういうことなんですよ。
思いの強さを試された助産院移転事業
- 緊急事態宣言が終わった頃から連日キャンセル待ちが続く状態だったそうですね。
木村 はい。その頃は現在の約半数の人しか受け入れるキャパシティがなかったのですが、コロナ禍のあいだ、多くのママたちが困っていたんだなと思うと出来るだけ多くの人を助けたい思いが強くなりました。
- それでもっと広いところへ移転しようと?
木村 でもその資金がなかった。それまで借入をせずにやってきていたので、まず多額の借入をするということにかなりの勇気が要りました。結局、やりたいことへの思いが勝って決心は着いたのですが、それでもまだお金は足りませんでした。
- 補助金や助成金にも頼れなかったと聞きました。
木村 そうなんです。助産院の移転を援助してくれる補助金も助成金もなく、困り果てていたところ、スタッフのひとりがクラウドファンディングという方法を教えてくれたんです。
- 結果、無事目標額を達成し成功しました。
木村 支援してくださった方たちのおかげで何とか移転費用の一部をまかなうことができ心から感謝しています。クラウドファンディングの取り組み期間中は精神的に辛く、幸せなお産を増やしたいという自分の思いの強さを試されている気がしました。資金を集めることの大変さを思い知りましたが、それだけに応援してくださる方の気持ちが一層嬉しく、同時に自分の中で覚悟も決まったような気がします。
- この先の夢を実現していくための、経営者としての覚悟ということですか。
木村 そんなに大袈裟なものではありませんが(笑)、幸せなお産を増やしたい。そのためには助産院を増やしたい。今は公的な制度がなくても当院が先駆けとなり社会に訴えかけていくことで理解が進めばいい。だから今はとにかく頑張ろうと思ってやり遂げました。
あたりまえに助産院がある社会を
- 経営理念のひとつに「地域の駆け込み寺でありたい」とありますね。
木村 ママたちが何か困った時に「あそこに行けばなんとかなる」と思ってもらえるそんな存在になりたいんです。
- より多くのママたちを助けられるように、分院したり拠点を増やしたりする計画はありますか?
木村 分院はまだ考えていません。助産師はひとつしか開業できないのですが、誰かやりたい人がいれば手助けはしたいと思っています。このような場所が増えていかないとみんなが救われることになりませんから。
- どうしたら助産院が増えるのでしょうか。
木村 まず大事なのは、助産院をやりたいという人が増えてくれることですね。そういう思いもあって、最近、看護学校の学生さんの受け入れも始めました。ここで助産院がどういうものかを知って、興味を持つ人が増えてくれたら嬉しいという思いからです。また、開業に興味がある方のために、見学や研修を積極的に受けるようにしています。
- 自分で助産院を経営する助産師さんは少ないのですか?
木村 多いとは言えません。私は助産師には職人気質の人が多いと思うのですけど、そうすると経営感覚というか、利益を出すことを意識しないで仕事に打ち込んでしまう人も多い。この仕事にはボランティア精神は必要だけれども、ボランティアだけでは続けられません。きちんとお金が回る仕組みを作らないといけないんです。
だから当院の経営がきちんと回っていることを見て、あんな風にやれば助産院をやっていけるんだ、それなら私もやってみたいなあと助産師さんたちに思ってもらえたらと思います。
- 助産院はどのくらい増えればいいと思いますか?
木村 保育園と同じくらいですかね。徒歩圏内に必ずあるくらいに、ひとつの町にひとつが理想ですね。
- そうすれば幸せなお産が増えそうですね。ハッピーな人が周りの人をハッピーにしていく、幸せが循環する世の中をきっと実現してください。 本日はお話を聞かせていただきありがとうございました。
※ 取材内容は2022年11月現在
【企業情報] しらさぎふれあい助産院〒165-003東京都中野区鷺宮3-3-6シュプール101 提供サービス : 自然なお産、産後のデイケア、産後のショートステイ、アウトリーチ(助産師訪問)、母乳・育児相談、よもぎ蒸し、個別マタニティ相談、スペシャル癒しのケア、こそだてクラス、ふれあいママ・サロン、究極の授乳タンクトップ、グッズ販売 等 |
(余録)木村さんがすごいのは、仲間を自然と増やしてしまうことです。実際、助産院に関わる人は形は様々ながら増加の一途だといいます。実現したい夢に共感してくれる人もいれば、当院の産後ケアを経験した人が一緒に働きたいと言ってくれることもあるそうです。理念やビジョンを繰り返し語り、浸透させ、仲間を増やしていく。「私はただやりたいことを話しているだけ」と謙遜しますが、未来の姿から逆算した現在地において、リーダーの最も重要な役割の一つを自然体で果たす姿に感銘を受けます。(五百田誉子)