#41 武蔵野デーリー クラフトミルクスタンド 取締役 木村 充慶さん

「本当においしい牛乳の感動を伝えたい」-。
若者や家族連れでにぎわう東京・吉祥寺の、駅から少し離れた通り沿いに「武蔵野デーリー クラフトミルクスタンド」はあります。100年前から牛乳店を営み、新たな業態として「クラフトミルク」の専門店を展開する武蔵野デーリー株式会社の木村充慶さんに、そのきっかけやクラフトミルクへのこだわり、思い描く将来の姿などをうかがいました。

牛乳嫌いを解き放った放牧牛のミルク

― 「100年続く牛乳屋さん」というだけで牛乳へのこだわりが感じられます。

木村 祖父の代に吉祥寺で牛乳店を始めました。個別宅配は無くなりましたが、現代表の父・義之は自動販売機用に牛乳などを配達していました。「牛乳が生業」という部分は大切にしています。

― 三代目になる充慶さんも牛乳が好きで後を継ごうと思っていたのですか?

木村 いや、まったく逆で、子供の頃はそもそも牛乳が大嫌いでした。ぬるい牛乳の味やにおいが苦手で、学校給食でもまったく飲みませんでした。「牛乳屋の息子なのに飲めないのか」とよくからかわれたものです。大人になるまでまったく飲まず、当然家業を継ぐ気もありませんでした。

武蔵野デーリー 木村充慶さん

 ― それほどの牛乳嫌いがクラフトミルク専門店という新しい世界にたどり着いたのはどのような経緯があったのでしょうか。
 
木村 家を継ぐ気がないまま、大学卒業後は広告会社に就職しました。ある時、仕事で北海道の旭川に行ったのですが、以前父親から勧められた本の舞台だった牧場を訪問することにしました。それは旭川にある「斉藤牧場」を開拓した斉藤晶さんという方の自伝的な本です。勧められるがままに読んでみたらとても面白かった。そしてせっかく旭川に来たのだからと思い、斉藤牧場を訪ねてみました。

― 実際に現地を見てみたいと思わせるほど感銘を受けた本だったんですね。
 
木村 内容をざっくりいうと、斉藤さんは戦後北海道に開拓移民として入植しましたが、最年少だったため山奥の傾斜地しか与えられませんでした。苦労を重ねながら開墾を続けますが、いつまでたってもほとんど収穫がありません。精魂尽き果てた斉藤さんは、自然に立ち向かうのではなく、自然を受け入れ、寄り添おうと意識を根本から変えます。山に牧草の種を撒き、牛を自由に歩き回らせると、石だらけの山が次第に牧草地に変わっていきました。人間が考えているよりはるかに大きな自然の力と共生することの重要さが書かれていた本でした。

“牛がひらいた”斉藤牧場

― 行ってみて実際の斉藤牧場はどうでしたか。
 
木村 山の斜面に牧草がきれいに生い茂って、放牧された牛が力強く山を登っていました。二代目のご主人を訪ねたら、牧場で搾った牛乳を出していただきました。苦手なので最初はちょっと躊躇したんですが、一口飲んだ時に「これが牛乳!?」と衝撃が走りました。サラッとしているのに風味豊か。東京で売っている牛乳にありがちな臭みもなく、こんなミルクもあるのかと驚きました。

牧場ごとのこだわりを伝えたい

木村 それから少し経って、北海道・足寄にある「ありがとう牧場」を訪れました。その時飲んだ一杯の牛乳の感動は今でも忘れません。自分の中で本当に牛乳が好きになった瞬間でした。この牧場では自然の力を生かして牛をストレスのかからない状態で育て、それがミルクの味につながっています。さらに、牛だけでなく人にとってもストレスが少ない牧場運営をしているんです。この話がとても印象的でした。 

― 人にとってストレスが少ない牧場運営とは?
 
木村 放牧はコストがかかる上に、牛一頭あたりの搾乳量は多くありません。放牧に限らず酪農自体が常に牛と向き合う仕事である上、家族経営が多いため、年中無休で働くことになってしまいます。いくら理想の放牧をしたいと思っても、大変な仕事をしながら搾乳量が減ってしまうので、簡単にできるものではありません。しかし「ありがとう牧場」はお産や搾乳の時期をそろえる「季節繁殖」を導入していました。春一斉にお産をして、春から冬の始めまでを搾乳時期とすることで、一年中搾乳しなければいけない状況から、一定期間休めるように労働の仕組みを変えていました。酪農を経営として持続可能なものにしていたんです。

― まさに牛と企業の「健康経営」ですね。
 
木村 他にも多くの牧場に行き、いろいろな酪農家の方にお会いしました。皆さんそれぞれこだわりが強いですが、そのこだわりにつながる特徴的な味があるなと思いました。このような各地の牧場のこだわりやストーリーを紹介しながら、その牧場の牛乳を提供できる店は面白いんじゃないかと漠然と考えるようになってきました。

父の思いとつながった新業態

― 「家業を継ぐ」という意識が出てきました。実際に継ごうと思ったきっかけは何でしょう。

木村 ある時、父親がトラックで配達している最中に交通事故にあってしまったんです。幸い軽い事故で済みましたが、高齢なのでもう運転はやめさせた方がいいと思い、こだわりの牧場で搾られるクラフトミルクのセレクトショップを始めようと父に提案しました。最初は父も半信半疑でしたが、若い頃はいろいろな牧場をバイクで回って牛乳を飲み、いつか様々な牧場の牛乳を集めたショップをやりたいと思った時期もあったようで、最終的には自分の思いとつながりました。

店の改装工事を前にした木村さん親子

新装オープンした「クラフトミルクスタンド」

― クラフトミルクスタンドという初めての業態。かなりチャレンジングだったのではないですか。

木村 どんな業態でも基本は同じです。クラフトミルクの美味しさとお客さんのニーズをどのように合致させるか考えました。結果、月ごとに3~4種類程度の牧場をセレクトし、ミルクと一緒にそれぞれの牧場の牛の育て方を紹介し、3種類の飲み比べもできるというスタイルの店にしました。

クラフトミルクの世界観を注ぐ

― 店の外観や全体的なイメージは一般的な牛乳店とかなり違います。意識したことは何ですか。 

木村 ロゴからミルクの提供方法までかなりこだわりました。ミルクは冷蔵ショーケースのミルク缶から特製の「おたま」ですくってコップに注ぎます。これはスイスの高級チーズ工房でやられていた方法からヒントを得ました。チーズを食べる前に原料の牛乳を飲ませてもらえるのですが、その時に「おたま」からコップに注ぐやり方が何とも言えずカッコ良かったので、それを再現しました。味だけでなく体験含めて世界観を提供しようと考えました。

ミルクは特製の「おたま」で提供

- こだわりを形にして、いざオープン。お客さんからの反応はいかがですか。

木村 オープンは2022年5月。お客様は近隣の方が多いです。週末しか店を開けていないのでお父さんとお子さんが遊びの途中で寄ってくれる感じ。他には日本各地の「牛乳好き」が来てくれます。SNSやブログなどで積極的に情報発信しているので、全国の牛乳好きの人たちの間ではわりと知られる店になりました。牛乳嫌いなお子さんを連れてきたら「美味しい!」と喜んで飲んだという話も聞きました。自分の昔の姿が重なって一層嬉しかったです。

単なる専門店を超えて酪農支援を

― 全国にファンがいるんですね。しかし、クラフトミルクは普通の牛乳に比べて値段がかなり高い上、市場規模はそれほど大きくありません。今後どのように店を発展させていくお考えですか。
 
木村 正直言って今の店の売上を増やすことはあまり考えていないんです。以前、別の会社の仕事でソーシャルビジネスに携わってきましたが、多くの人とつながる経験がとても面白く、その延長戦上で価値観を共有する方々と一緒にビジネスをしている感覚です。
 と言っても事業拡大を考えていないわけではありません。今、店の地下には各地の牧場の搾乳を殺菌・加工して「シングルオリジン」ミルクを製造する工房があります。

― 「シングルオリジン」?

木村 通常、牛乳は複数の牧場から製造工場に搾乳が集められて混ざった状態で作られます。でも本来、牛乳の味はそれぞれの牧場ごとに違います。私のクラフトミルクスタンドでも提供している、混ざっていない個々の牧場の牛乳が「シングルオリジン」。ただ、各牧場で製造するためには独自に多額の設備投資が必要なので、実際にできている牧場は多くありません。それを私の店の工房が担えば、各牧場は少ない負担で自分たちの牛乳が販売でき、私たちも新しい事業展開につながるので、Win-Winのビジネスができると考えています。

店の地下にあるクラフトミルク工房

― 単なるクラフトミルクスタンドの範疇に納まらない、壮大な未来像につながる可能性がありますね。

木村 突き詰めると酪農の未来をサポートしたいと考えています。酪農は地球温暖化の要因の一つであるメタンガスの排出が多いことを問題視する意見を耳にします。ただ、酪農より稲作の方がメタンガスの排出は多いんです。様々な事実が複雑に絡んでいるからこそ、一つの問題だけを単純に切り取って論ずるものではないと思っています。酪農振興のためには、まずは各酪農家が稼げるようにならなければならない。そのためにはクラフトミルクのような牧場単体の製品を作ったり、牧場の価値を高めるような取り組みを行う必要があるのではと思います。自分がそれを支援できればと考えています。

[企業情報]
武蔵野デーリー クラフトミルクスタンド
武蔵野デーリー株式会社
東京都武蔵野市吉祥寺本町2-25-2
https://musashino-dairy.com/
・note:note.com/musashinodairy
・X:x.com/musashino_dairy (@musashino_dairy)
・Instagram:instagram.com/musashinodairy/

(余録)クラフトミルクという嗜好性の高い製品をスタンドで提供するという業態は、製品に対してよほど強い自信と愛情、こだわりがないとできません。木村さんはインタビューでは冷静な語り口ながら、その熱い思いがいたる部分にほとばしっていました。そしてその視線は単なる専門店経営のはるか先、酪農全体の未来像を見据えていました。(浦野 創)

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