#019 株式会社エルエルピーダブリューエックス
代表取締役 神取忍さん
『ミスター女子プロレス』———神取忍さんは、その伝説的な活躍ぶりから、選手、あるいはタレントとしての印象を強く持たれる方も多いかと思います。
その経歴は、柔道の道から、プロレスに飛び込み、ジャパン女子の「四天王」に。その後、プロレス界初のフリー宣言、新団体LLPWを立ち上げ、その後はなんと、参議院議員、現在LLPW-Xの社長。一見、軽々と領域を飛び越えて転身し、凡人には想像もつかない新たな道を切り拓いて来られているように見えます。
今もなお、前に前に進まれている、そのエネルギーには、どんな想いが貫かれているのか。今日は、『社長 神取忍』としてのお話をうかがいました。
「経営」と「リングの上」は全く違う
――柔道家、ジャパン女子の「四天王」、新団体の立ち上げ、参議院議員など、素晴らしく多方面に活躍の神取社長ですが、「つらいことを、しいて上げれば、ほかの選手と違って、経営とか、対外的なこととか、団体の代表の立場だから、やらなくてはいけないこと」とコメントされていたことを拝見したことがあります。経営者として、やはりご苦労は多いですか。
神取 経営って、実際のリングの上で、選手として闘って、ファンの人にアピールするといったものとは、全く“真逆のもの”に、向かい合っていくってことなのかもしれないです。やっぱり、チケットを売らなきゃいけない。売上だよね(笑)。選手としてリングにあがるっていうのと、お客様にチケットを購入して頂くというのは、違う種類のことなんです。
もちろん、レスラーとしては、人気のあるレスラーになりたい。でも、現実問題チケットをどれくらい売り上げ上げられるかも大事。更にそこから、借りる会場費を差し引いて、スタッフの人件費、もろもろ経費がかかってくる。こうした収支管理、お客様の大切さ、取引先やスタッフとの関係性のような一連は、選手がリングの上で闘っているのと異なる。その差っていうのは、味わってみないと本当の意味では分からないと感じます。
――「経営における社長の役割」と「リングの上での選手の役割」、どちらも、教われば、理屈通りに、上手くいくものでもない。その両方を担うのは、さぞかし、苦労も大きいですね。
神取 コロナの時は、興行を開けない、選手も練習さえも控えなくちゃいけないなど、苦しい事態でした。しかし、そんな中でもカレー(※写真)を作ったら、逆にカレーが売れて、まさかまさかの大人気みたいな、不幸中の幸いなこともあったんです。スポンサー様も皆さんの会社が苦しい中で、継続して支えて頂いた。そういう、ご支援というか、今までの関係性、そんなこんなで乗り越えて来ました。本当にありがたいことでした。スポンサー様、お客様のご支援があって、今もプロレスを続けさせて頂いています。
頑張っている人を応援したい
――経営的に言うと、多角化を進められていたことも、功を奏した訳ですね。また、社長のお人柄というか、ビジネスライクな理屈だけでない、日頃からの取引先との関係性も大切ですね。やはり様々な荒波をギリギリのラインで乗り越えてこられた言葉には重みが感じられます。苦しい中でも、「経営」と「選手」を両立して来られたのは、逆に、経営者だからこその喜び、楽しみ、実現できることもあると。
神取 そうですね。リングの上で勝利して「やった!みんなやった!」っていう選手としての達成感。でもそれだけでなく、無事にその大会が終わり、その会場を借りた人にありがとうございましたって伝えると、会場からよかったですねって声を聴ける。そうしたお客様やスポンサー様、お取引先、スタッフ、選手のみんな喜んで帰っていく姿を見て感じる、経営の充実感っていうのは、また大きく違うんです。ある意味、「経営」と「選手」で「1粒で2度おいしい」って言えるかもしれないです(笑)。
――「選手」だけでなく「LLPW-Xの経営」、さらに視野を広げると「女子プロレス」、もしかしたら、もっと広く「プロレス業界」「格闘技」、もっと全体を盛り上げていきたい、そんな気持ちも入ってきますか?
神取 柔道からプロレスに入って、当時、新団体を作って会社を始めて、あちこちを回った頃のことです。じゃあ、応援しましょうって時に、女子プロレスの協賛の金額は、男子プロレスと比べると、桁が零ひとつ違うぐらい違うんです。なんでこんなに差がつくの?って程、全然違うんです(笑)。それが悔しくって、とにかく業界自体を盛り上げていきたいって思いました。
そして、プロレスはもちろん、もっと広く、格闘技、その後、政治の世界にも入って、いろんな業界を見ていくと、次第に「頑張ってる女子を応援したい」、「いろんなところで頑張ってる人をとにかく応援しようよ」って、想いが幅広くなって来ました。自分が育って、この道で生きて来たっていうのもあるから、恩返ししたいっていう気持ちですかね。
固定概念を捨てることが必要
――最近、プロレス界に、もっと広く言えば、格闘技の世界に、若い世代の人気も高まってきていると聞きます。経営環境やお客様(ファン)も変わってきているのでしょうか?
神取 全く変わってきていますよ。例えば、団体の数をとっても、かつては、新日本プロレスさん、全日本女子さん、全日本男子でUWFが出来てと、5団体でも増えたねって言われていた時代だったんです。それが今やもう、何十団体あるかっていう状況です。
試合のやり方も全く変わって来ていて、ミックスマッチ(通常は性別によって分けられている格闘技において、性別を混ぜた組み合わせで行われる試合形式)は当たり前になって来ています。会場も、これまでは、まず会場を借り、リングを立て、そこで初めてリングに上がるっていう段取りがあったんです。今はもう常設のリングがあるので、はい、やります、すぐできちゃうっていう…昔は絶対考えられないことになっています。
――業界や事業の構造自体が、大きく変わってきているんですね。興行や遠征、放映、配信、そういった環境も大きく変化しています。
神取 ITや技術がどんどん新しいのが出てきて、メタバースや、YouTube、SNSの配信など、見せ方だけでも、全然違うわけです。Chat GPTなんて新しい技術が、あれよあれよって、あっという間に広がっちゃう訳ですから、いかにこの世の中の動きを、瞬時にして見て、追い付いていくかが大切です。
海外に目を向けると、アジアに向けて配信や、海外遠征など、コロナも落ち着いて、インバウンドも増えてきますし、もっと広げていきたいです。
これだけ時代の変化が早いと、何がチャンスかって決め打ちするよりも、固定観念を捨てることが必要と思います。固定観念を捨てることによって、新たなものを取り入れていく、これが大切です。
―― 時代の変化を読まれていますね。若手、次世代の育成にも取り組まれていますか。
神取 これは一筋縄ではいかないですね。プロレスですから、練習が厳しいのは当然ですし、興行主体なので収入が安定しない。そうすると、どこの団体も似た様子ですが、せっかく練習に来ていても、「やっぱりやめます」の繰り返し、なかなか長続きしないんです。ニンジンばっかりぶら下げたらそれに甘えていくし、厳しくすりゃ厳しいで、つらいなんて言い出すし、そのさじ加減が難しい。みんな、どうやってんだろうって、色々教わりたい気持ちです。
もう今は「新しい日本人」になっちゃって、「昔の日本人」とは違うという印象です。なんでも便利でお手軽になって、飽きっぽくなっちゃってるのかもしれないと感じます。昔は日本人は「我慢の美学」なんてありましたが、かつての感覚では、話にならない。「新しい日本人」に対してどう対応して行くか、そこを逆に、勉強していかなきゃいけないと思っています。
――まさに格闘技の世界も多様性ですね。それが前提にある若い世代をファンにする為に、神取さんご自身も変わろうとしている。
神取 そう、大きな経営課題です。同世代なら私を知ってくれていても、若い子はそうもいかない。今、この世代には「ブレイキングダウン」という大会が人気です。これはアマチュア選手の他、YouTuberやTikTokerなど様々なバックボーンをもった人達が「1分1ラウンド」で喧嘩をするもの。格闘技の概念を覆したとも言われています。
これがSNS上の動画で何億回再生されているんです。「まさか、あの1分で」って、最初は驚きました。いわゆる不良と呼ばれる子もいて批判もあるのだろうけれど、あれはあれでこれまでのルールを変えたというか、新しいものを作り出しているんです。
そこでブレイキングダウンの現場に飛び込んで、ゲストコメンテーターや審査員として参加しています。こうした機会をいかに見つけていくかですね。
――固定観念を捨てるくらいの変化、価値観の多様化の中、「変わっていくもの」と「変わらないもの」があるように感じます。
神取 プロレスは以前から、“引き出し“がたくさんある、つまり、様々な取り組みがあります。「これがプロレス」っていうのを決めるのは、その団体や個人の主張だと思います。
アイドルみたいに可愛いのもあれば、本当に戦っていくストロングスタイルもあり、有刺鉄線のデスマッチが大好きですっていう人もいる。何が正しいってのはなくて、自分がこれをやるんだっていうのがプロレスです。自分の主張をどこまで主張していって、その中で、自己満足ではなくて、お客様に支持されたものが勝つわけです。
もちろん、プロレスも反則やファイブカウントといったルールはあります。でもそれも緩い。つまり、許容される幅が広いんです。今や、リングがあるのがプロレスっていう固定観念さえも越えて来ていて、「いやそれはプロレスじゃない」なんて言っている人は、来なくていいよ、っていう暗黙の了解がある。個性が尊重されるのがプロレスなんです。
下を向いてもいいけど起き上がるんだぜ
――大きな環境変化のなかでも、軸になる信念、普遍的な考え方のヒントをお伺い出来た気がします。昨今は日本経済が、アジアの国に比べると少し元気がなくなって来ていると言われます。最後に、読者のみなさんに、何かメッセージを頂けますか。
神取 プロレスって、やられても、やられても、起き上がるところが、面白いところです。「プロレスは受けの美学」って言われるように、どんな技でも受けられる。普通なら、「逃げればいいじゃん?なんで受けるの?」って思うでしょ(笑)。でも、なんでも受けられる凄さというのが、プロレスラーの凄さであり、やられても起き上がっていくっていうのが、プロレスラーの姿だと私は思っています。
だから、伝えたいのは、「物事っていうのは逃げずに受け入れろよ。それで、やられても、起き上がりゃいいじゃん。」「みんな、下を向きがちになっているんだけど、下を向いてもいいけど、起き上がるんだぜ。やられたって起き上がっていけばいいじゃん」ってことです。受け入れて、立ち向かっていける気持ちを、みんなに持ってもらっていけば、もっと日本自体、盛り上がるだろうし、業界も盛り上がっていく。その気持ちをみなさんと共有したいです。
取材内容は2023年4月時点のものです
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(余録)
「企業経営」と「プロレス選手」、一見、距離感のあるテーマに感じますが、「固定観念を捨てる」「環境変化のスピード」「若手、次世代」など大企業の経営会議でも頻出する視点・論点を、肩ひじ張らない語り口調で話され「勉強していかなきゃいけない」と繰り返されていました。有名人にも関わらず、丁寧に物腰低くインタビューに対応頂ける姿勢に、魅了される多くのファンの気持ちを垣間見ることができました。「物事っていうのは逃げずに受け入れろよ、やられても、起き上がりゃいいじゃん」というメッセージに、これからの日本を生き抜く多くのビジネスパーソンが勇気づけられるだろうと感じました。(石寺 敏)