#027 南河原商工会
佐野 和美さん (南河原商工会 経営指導員)
長戸 美樹さん (中小企業診断士・ITコーディネータ/㈱プロッシモコンサルティング代表取締役)
“伝統技術、地場産業を守り、次世代に伝えていこう!”~南河原商工会が中心となって2017年度から本格始動した「南河原スリッパプロジェクト」。斬新なデザインや高い品質で話題となり、2022年11月には商工会全国大会で中小企業庁長官表彰を受賞。さらには2023年11月に令和5年度「21世紀商工会グランプリ」を受賞し、日本で一番活躍した商工会として名実ともに認められました。これらは素晴らしい実績と言えますが、そこに至るまで、決して平坦で順調な道のりではなかったようです。
今回は、商工会、中小企業診断士が、地域・行政とともに、力をあわせてビジネスを前に進めていくという、ひとつの型を掘り下げていきます。
東京から2~3時間、利根川のほとりに豊かな田園風景のひろがる、埼玉県行田市の南河原商工会の事務所に、局長 兼 経営指導員の佐野和美さんを訪ね、伴走型のハンズオンで支援歴8年目になる中小企業診断士の長戸 美樹さんとともにお話しを伺いました。
かつては日本一のスリッパ産地
― もともと、「南河原といえば、スリッパ」というくらい盛んだったのでしょうか?
佐野 恐らく、この辺りに育った人であれば、幼い時から、親御さんやおじいちゃん、おばあちゃんが携わるのを見て暮らし、「スリッパ製造」は身近な産業だったと思います。全盛期の1980年頃は、夜中もスリッパを運ぶトラックが行き交う音が聞こえたという話しも聞きます。
―スリッパは、江戸の開国で、西洋人が靴の上から履いてもらうために、明治初期頃に作られたそうですね。旧南河原村では、農閑期を活用できる産業を模索して、東京から製造方法を持ち帰り、草履の生産を行っていた流れもあって、1960年代には、本格的な製造が始まったようですね。その後、どのように変化していったのでしょう?
佐野 高度成長期には、日本全体で団地が増えて、床の生活から、テーブルの生活に変わっていくのに伴って、スリッパを履く習慣、スリッパの需要も一気に拡大したそうなのですが、この地域では大きな工場が建てられなかった一方、海外や他の地域の製造拠点に機械や技術の移転が起きたそうです。労働集約型の産業なので、労働力の安いところへ移転が進んでしまったと聞きます。
―近年は「かつては生産量日本一だった」という状況にあった。しかし、いま、「南河原スリッパプロジェクト」が動いている。最初のきっかけは何だったのでしょう?
佐野 2012年頃に、埼玉スリッパ組合の経理の仕事でお声が掛かり、パート従業員として働き始めたのがスタートでした。2014年に「小規模支援法」(正式名称「商工会および商工会議所による小規模事業者の支援に関する法律の一部を改正する法律」)が制定されたことを受け、「伴走型発達支援計画」を作ることになったちょうどその頃、前職の経営指導員さんが退職され、これは困ったということになりました。そこで一念発起して、採用試験を受け、商工会の経営指導員になりました。右も左も分からない中で、「経営発達支援計画」を作ることになりました。
心が開いた「目線を合わせる」支援
― 佐野さんに白羽の矢が立ち、「経営発達支援計画」を作ることになった。いま、こうして二人三脚で支援されている長戸さんは、どのような経緯で、こちらに関わられることになったのでしょうか?
佐野 2015年に、埼玉県のITコーディネータとして、県内の商工会や商工会議所に対し、ご挨拶廻りにお越しいただいたのが最初です。
作成した計画に沿って新商品開発を進めるにあたり、市場調査、需要動向調査をしなくてはいけないけれど、商工会が小さいし、自己財源が少ない。さらにこの先、支援する企業の経営革新計画作成、補助金申請など、たくさんの手続きもあるが、それを進める予算も限られていたという段階でした。
当時、たくさんのコンサル会社さんや銀行さんが、営業に来られました。皆さん大きな実績の事例を持って来てくださり、「うちはこんなすごいことやってます」と、格好いいプレゼンや、何百万のシステム導入提案を受けました。でも、どう見ても、規模も内容も、うちには全く合っていない。
どんな支援でもそうですけど、「目線合わせていく」ということは、とても重要だと思います。そうしないと、相手も心を開かないですよね。当時のわたしがまさにそういうことに直面していました。今でも、経営指導員として、そうしたことを心がけて、支援に当たっています。
長戸先生は覚えていらっしゃるか分からないですけど、うちは小さくてそんなお金が払えません、これで良ければ是非お願いします、というようなお話をした記憶があります。
長戸 そうでしたね。本当に手探りで、道なき道を進んできました。だからうちは、小さな事例では最先端。小さい商工会は、日本中、山のようにあるので、そうした全国の小さな商工会の参考になると思います。
―苦楽を共にして、伴走スタイルが始まった。実務としては、最初は、どんなことから着手されたのでしょう?
佐野 今、スリッパプロジェクトが良く知られるようになっていますので、スリッパのことだけをやっているように勘違いされがちですが、当然そんな訳ありません。商工会の仕事、指導員の仕事として、建築屋さんだったり、床屋さんだったり、不動産屋さんだったり、そういった皆さんの融資や経営の相談にのっています。大きな商工会と違うのは、業種で担当を分担する人員がいないので、全部受けなくてはならないし、相談事は待ってはくれない。スリッパはその中の一つの仕事なんです。
スリッパに関しては、最初本当にゼロからのスタートでした。まず事業者さんを説得するのに、最初の1~2年ぐらいかかっています。新商品開発に着手した頃から、皆さんだんだん心を開いてくれるようになりましたが、そこまでの間が、精神的にすごく大変でした。
常にその時その時を、全力投球で取り組んで来ました。計画に描いた目標だけは、なんとしてもクリアしようと、ずっとやってきました。今振り返ると、それが良かったのかなと思います。
―当時は今よりも、“男性社会”が色濃く、女性が育児や家庭のことをこなしながら仕事をする中でも、辛い思いをされて来られたそうですね。そうした苦難を乗り越えながら、挫けずに続ける、支えになった事柄や言葉はありますか?
佐野 最初は好意的ではなかったのですが、結果が目に見えるようになってくると、スリッパ屋さんで働いている方々が、「お姉さんのおかげだよ、ありがとう」と声を掛けてくれるようになりました。やって来て良かったと、続けていく力になりました。
商工会から広がる発信・協力者・仕事
― 冷たい対応が温かい笑顔に変わる。いま思い返すと、その転換のきっかけは、どんな事と思われますか?
佐野 仕事が増えたことと、露出が増えたことの2つではないかと思います。軌道に乗ってくると、様々な方面のメディアさんが取材に来てくだいます。それがみんな楽しみで、純粋に嬉しかったのだと思います。
同じように、行田市の郷土博物館にスリッパが展示されるようになったことも喜ばれました。南河原村は2006年に行田市に編入されたのですが、行田市は、足袋の産地で有名で歴史も長いので、それまでは、足袋の展示しかありませんでした。今回の取り組みで、「南河原はスリッパだ」と外部から認められてきたことで、行田市も動いてくださった。2023年2月には、南河原スリッパで、地域団体商標登録もしました。
また、庁舎や銀行といった施設で、スリッパを展示して頂いたことも、地元の方に理解してもらう効果があったと思いますね。金融機関は、普通、個別の私企業の商品を展示することはできないですが、幼稚園や老人会の作品など、公共性のあるものは可能ということですから、地場産業支援として商工会が取り組んでいるからこそ、実現できたのだと思います。やはり、PRを欠かさないことが大切です。
―商工会という公的機関が能動的に関わる効果は大きいですね。露出の側面と同様、仕事の面でも、効果は感じますか?
佐野 そう思います。多くの事業所さんで、社長の高齢化が進んでいて、新規取引先の開拓・契約などに負担を感じ、難色を示される方は多いです。でも、「商工会さんと一緒だったらやるよ」と物事が動き出しました。みなさんと商工会が一緒に歩むイメージです。
そもそも、労働力不足の中、営業や契約・請求・入金といった「面倒くさいこと」を、きちんとやってくれる人がいない、というのが中小企業の現場の実情ですよね。自分で全部やらなくてはいけないのは、負担が大きくて無理だけれど、協力する立場という安心感があれば動き出せるのでしょう。もちろん、誰かがやらないと、産業自体が無くなってしまうという危機意識は、元からありますしね。
他にも、販路拡大の場面でもメリットがあると感じます。例えば、東京のギフトショーの出展にしても、個々のご高齢の小さな事業所さんが独力で担うのは負担です。他にも、流通に関して言えば、百貨店に陳列してもらう場合、仲卸などの中間経路が入るのが一般的ですが、公的機関の商工会が、地場産業の取り組みとして、きちんと理解、納得いただきながら、関係者が険悪な雰囲気にならないように、丁寧に調整を進めることで、事業者さんの利益率向上に繋がっています。
次世代への承継、種まきは小中学生から
― やはり、気持ちだけでなく、経済合理性も伴わないと長続きしないですね。2016年に斬新なデザインの新商品を作り、2017年にギフトショーで発表。それが世の中の目に触れて、お仕事が増えたり、メディアに取り上げられたりという効果が出てくる。すると、地元の皆さんにも「俺達注目されてるじゃん(笑)」ということで、より協力的になってくださる。コロナ禍も乗り越え、昨年2022年11月には商工会全国大会で中小企業庁長官表彰も受賞されました。今後の展望についてお聞かせください。
佐野 これからもどんどん新しい取り組みを交えて、展開していけたらと考えています。例えば、「南河原スリッパ ラッピングバス」に続いて、ラッピングをした自動販売機を商工会エリアに設置して、売上の一部を寄附して頂き、新橋の大型ビジョンにPR動画を流していくことを計画しています。都内でビジネスパーソンの多い新橋駅前で、南河原スリッパを多くの方に知って頂き、お仕事に繋がればと考えています。
そして、やはり最終的な目標は、事業承継です。次世代の担い手を発掘し、繋げるというのが、本当の最終目標です。今の小学生、中学生は、ここでスリッパが盛んだったということを知らない。まず知ってもらうことから始めようと。
スリッパを中学校に展示をさせて頂いたり、小・中学校、幼稚園、保育園にスリッパを寄付して、来賓スリッパに使っていただくことで、子供たちだけでなく、来賓の大人たちの目にも触れ、地場産業の理解が深まることを狙っています。
―長官表彰は当然ゴールではなくスタート。地場産業の次世代への継承を視野に入れていらっしゃるんですね。素敵なお話しをありがとうございます。最後に、中小企業診断士への期待やメッセージをいただけますか?
佐野 経営支援を進める上では、士業を中心とした様々な専門家のサポートを受けますが、未来や将来を考えたり、事業を大きくしていくことを一緒に考えて下さるのは、やはり中小企業診断士。未来に向けて、もっと頑張ってもらいたいです。申請書出して、終わりではなく、きちんと継続的にコミュニケーション取って、いい関係を築いて伴走し、フォローアップまでして下さるのが、望ましいと思います。
長戸先生は、ご自身のファッション、アパレル、流通、ITといった経験や知識、人脈を活かして、独自性のある支援を進めてくださいます。事業者さんの目線に合わせた実践的な支援が一番大事と思います。経営指導員として、私もいつも心がけるようにしています。
長戸 (中小企業診断士は、)自分の得意分野や専門分野を確立し、日ごろから勉強しておく必要があります。上から目線の指導ではなく、(相談相手の)お役に立つことを上手に探していくことが大切だと感じています。
取材内容は2023年8月時点のものです。
|
(余録)
関係する人々と粘り強く、笑顔で関係性を築き、協力者を増やしていく。おふたりの信頼と熱意、配慮、圧倒的な“コミュ力”に、身の引き締まる思いでした。成功の秘訣を伺ったところ「ご縁とタイミングと思います」と、さらりと謙虚に回答されたのが、とても印象的でした。 (石寺 敏)