インド、タイ、日本、欧風? カレーなる遍歴

国際部  飯崎 充


 日本の総人口は減少傾向(2016年10月現在1億2693万人 ⇒ 2050年 こんにちは! 食べ物で世界を巡るシリーズも5回目、今回はカレーを取り上げます。

1.カレーとラーメン
 外国由来でありながら、現代日本の国民食になったものと言えば、カレーとラーメンが代表格です。この二つには多くの共通点があります。どちらも明治維新の開国期に伝わり、外国との交易港である横浜、神戸から広まった,ちょっと前までは大衆食堂の定番(何故か今でもどちらも蕎麦屋さんで食べられます), 即席食品となって家庭食としても普及, お家で自分が作るとなるとやたらと凝るお父さんが多い,専門店が全国津々浦々にある(ファストフード店から高級店まで), 何でも具(トッピング)にできる --- 等々。(他にもありますが、またあとで触れます)
一方で違うところもあります。例えば、どちらかといえば、ラーメンは外で食べるもので、カレーはお家で食べるものであること。また、ラーメンには、味の好みに地域性が見られるのに、カレーにはそれがありません。ラーメンは、醤油・味噌・塩 --- と、味で分類されますが、カレーはビーフ・チキン・ポーク --- と、具で分類されることにそれが表れています。

         
      とんかつ屋さんのロースカツカレー            お蕎麦屋さんのカレー南蛮
           新宿さぼてん                       調布 増田屋

2.カレーとは、スパイスとは
 今、カレー風の味付けの料理は世界の様々な場所で見つけることができます。しかし、一般庶民の間で広くカレー味の料理が食べられているのは、インド、パキスタン、スリランカ、バングラデシュ、ネパールという南アジアと、タイをはじめとする東南アジア、それに日本くらいでしょう。欧米でもインド料理店、タイ料理店はたくさんありますが、普通の庶民にとっては非日常食であり、カレーはインド料理、タイ料理のひとつでしかありません。中国、韓国ではカレーはこれまであまり人気がありませんでした。それなのに、インドやタイからぽつんと離れた日本で、家庭でも外食でもカレーライスがごく普通に食べられています。ちなみに、カレー専門店という業態がある(成立する)のは、世界中で日本だけだそうです。

 どうしてカレーがこのように日本人の間で国民食と呼ばれるまでになったのか、考えてみようと思いますが、その前に、そもそもカレーとは何でしょうか。
 カレーという料理はインドにはありません。Curryと呼ばれる料理の概念はイギリス人が確立したと言われます。Curryという言葉の始まりも、インド南部を訪れていた西洋人(ポルトガル人)に「これは何?」と訊かれて、汁あるいはソースのつもりでカリに近い音で答えたのが総称になったというタミル語起源説が有力です。(他にも諸説あり)
事典によれば、カレーの定義は「インドを中心として、中近東から東南アジア、さらに今日では広く世界各国で使用されている混合香辛料、またその香辛料で味付けした料理」(『南アジアを知る事典』平凡社2012年)となります。スパイス(香辛料)を混ぜ合わせたもの、およびそれを使って調理した料理、ということでしょうか。
それでは、そのスパイスとは何で、どのように使うのか。レヌ・アロラさんの本によれば、使い時、使い方は3段階に分かれます。
 ① 料理の最初に油に香りを移すスタータースパイス
 ② その油に材料を加えて炒め、煮る時に入れて、辛さ、風味を加えるスパイス
 ③ 味がほぼなじんだところで最後に香りづけとして加えるスパイス
形状にも違いがあり①にはそのままホールで、②③には磨りつぶしたパウダーで使われます。
 スパイスの種類はそれこそ無数、例をあげれば、スタータースパイスとしてクミンシード、マスタードシード、フェネグリーク、ヒング,辛みにレッドペッパー、グリーンチリ、ブラックペッパー、とろみにコリアンダー、カシューナッツ, 甘さにカーダモン、シナモン, 味と香りにニンニク、ショウガ、フェンネルシード, --- そして、仕上げの香りづけにガラムマサラ(各家庭で独自に数種類のスパイスを調合したもの――母から娘、嫁に伝わる)。その種類の多さに、レヌ・アロラさんの本を見ているだけでめまいがしそうです。
本場インドは広大な国、スパイスの使い方もその土地土地で様々ですが、基本は、使う食材や季節、さらには食べる人の体調まで考慮して、その都度スパイスを選び調合していることです。これは、五百年も昔、西洋人がインドでカレーに出会った時もそうだったはずです。

3.カレー粉の誕生と日本への伝来
イギリスは、東インド会社が17世紀にインドに拠点を設けて以降、徐々にインドを植民地化し、19世紀半ばには直接統治とします。イギリスのインドとの関わりの中で、インドのスパイス料理に魅せられた人は多く、スパイスやコメを本国に持ち帰って、インドの味を再現しようと試みます。しかし、そこはインドの歴史に培われたスパイス調合の神秘、にわか仕込みの調合ではなかなかあの味の再現とはいきません。そもそも毎回数種のスパイスを磨りつぶして調合するのは大変な手間です。そこで18世紀末に発明されたのが、あらかじめいくつかのスパイスを適切に混ぜ合わせて作り置きしておく「配合調味料」であるカレー粉です。この発明で、誰でも容易に一定の「カレー」風味を再現できることになりました。
大英帝国は、七つの海を行き来しながら、このカレー粉を世界にもたらします。おかげでカレーは世界に広まるのですが、ここで世界のカレーは大きく二つに分かれることになりました。カレー粉を使うカレーと、使わないカレーです。後者の方がオリジナルなのですが、後者が広く世界に知られるのは、インドの人々が自由に国を出られるようになってインド料理を世界に伝え始める20世紀を待たねばなりませんでした。

 明治維新期の日本に伝わったのも当然カレー粉を使うブリティッシュカレーでした。シチューからの影響でしょうか、イギリス本国で既にカレーは小麦粉を加えてとろみをつける形に変身していました。このカレーが伝わって以降、日本国内に広まったルートは二つ。ハイカラな洋食としての洋食屋さんルート、そして英国海軍から帝国海軍に伝わり、その後陸軍にも広がった軍隊食ルートです。日本のカレーの起源は、洋食のひとつとして、インド料理とは違った形で伝わったものでした。
ちなみに、日本で最初にインド式のカレーを提供したのは新宿中村屋で1927年のこと。東インドベンガル地方出身のインド独立運動家ラス・ビハリー・ボース氏が伝授したレシピによります。日本での洋食式カレーとインド式カレーの歴史には50年以上のギャップがあることになります。
           
     
           純印度式カリー                エスビーカレー粉 赤缶
          新宿中村屋Manna

 ブリティッシュカレーのレシピで始まった日本のカレーは、当初クロック&ブラックウェル(C&B)社製等の舶来のカレー粉に依存していました。その後カレーが広まるにつれて、当然カレー粉を国産化しようとする動きが出てきます。しかしカレー粉の配合法はメーカー門外不出の機密、日本にはスパイス文化がなく教えてくれる師匠もいませんから、独力で様々なスパイスの調合を繰り返し、試行錯誤して舶来のカレー粉の香りの再現をめざすほかありませんでした。この難しい開発をやり遂げ、最初の国産カレー粉製品を1923年に売出したのが山崎峯次郎氏。のちのヱスビー食品の創業者で、その製品は改良されて1950年に「赤缶」カレー粉となり、今につながっています。

4.インド、東南アジアのカレー
 さて、ここでひとまず話をインドに戻します。広いインド、料理も地域により様々で、インド料理と一括りにはできません。北インドが粉食(全粒粉のチャパティ、プーリ、精製粉のナーン)、南インド・東インドが米食(長粒種インディカ米)という主食の違いがあるため、合わせるスパイス料理(西洋人に倣いカレーと総称します)にも違いがあります。 
大まかな傾向ですが、北インドは、たっぷりの油を使います。クミンシードなどのスタータースパイスで香りづけした油で玉ねぎをじっくり時間をかけて炒め(オニオンフライ)、ショウガ、ニンニクやトマト、パウダースパイス、塩等でカレーのベースを作り、それに野菜や肉を炒め合わせて煮込んでいく。スパイス以外にナッツペーストや乳製品由来のバターやギー、ヨーグルトも使います。お湯は少なめ、カレーはとろりとした感じに仕上がります。チャパティやナーンですくって食べるのにはこの方が適しています。
 一方、米食の南インドのカレーはシャバシャバしています。南インドはベジタリアンが多くもともと野菜が中心。油の量もそう多くありません。先に野菜を煮ておいて、別鍋でスパイス(マスタードシードが代表例)を炒めて香りを移した油ごとそこに投入する(テンパリング)というような作り方をします。スパイスの他にカレーリーフなどのハーブを利用、大量のトウガラシで辛さを出しますが、タマリンド(酸味のある果実)やココナツミルクでさっぱりした味になります。時間も短くササッと調理します。(南インドは暑くて長く火を使っていられないから?)これをごはんにかけて食べる。インディカ米は香りがあり、日本の単粒種と違ってぱさぱさ、サラッとしているので、汁によくなじみます。
          
       
           マトンマサラカレー          魚が見えませんが、フィッシュヘッドカレーです
    北インド料理 調布 KARINA KITCHEN     シンガポール料理 六本木 カフェ・シンガプーラ

 東南アジアのカレーにも触れておきましょう。多くは南インドと同じようにココナツミルクを使ったシャバシャバカレーです。シンガポール、マレーシアやインドネシアなど島嶼部は南インドの影響が強くみられ、インドのようにスパイスを使います。しかし、タイやカンボジアなど大陸部のカレーは、実はスパイスはあまり使っていません。スパイスよりも、フレッシュな香味野菜(ハーブ)が香りづけの中心になっています。(スパイスとハーブの区分は曖昧なところがありますが)
 東南アジアにはもともと野菜と魚の水煮料理がありました。タイで言えば、様々なハーブで調味して色々な具を煮込んだ“ゲーン”と呼ばれる多種多様な汁物料理があります。そのゲーンの中でインドと同類のスパイスを使ったものが、西洋人に「カレー」とみなされたようです。グリーンカレーは“ゲーンキャオワーン”(緑の甘いゲーン)、レッドカレーは“ゲーンデーン”(赤いゲーン)もしくは“ゲーンペット”(辛いゲーン)で、タイの人たちには「カレー」という認識はなかったかもしれません。
 ちなみに、グリーンカレーペーストの原材料は、氏家アマラー昭子さんの本によると、「ブラックペッパー、パクチー(コリアンダー)の根、ガランガー(ショウガの親戚)、バイマックルート(こぶみかんという柑橘類の葉)、レモングラス(レモンの香りを持つイネ科の植物)、ニンニク、ブリッキーヌー(青唐辛子)、ホムデーン(小粒タマネギの仲間)、カピ(蝦醤)、クミンパウダー、ナツメグパウダー、塩」となっています。これらの原材料を砕き、或いは磨りつぶして混ぜ合わせたグリーンカレーペーストを油で炒めて、色と香りを出したところに、具とココナツミルクを加え、ナンプラー(魚醤)、砂糖と若干のスパイス(クミンパウダー、コリアンダーパウダー)で調味します。クミンとコリアンダーでカレーのような風味をつけてはいるものの、基本はハーブ汁だといえそうです。
 なお、タイカレーと称されるものには、このほかに2011年CNNインターナショナルで世界で最も美味な料理1位に選出されたマッサマンカレー“ゲーンマッサマン”(ムスリムのゲーン)や、イエローカレー“ゲーンカリー”があります。前者はタイ南部イスラム教徒のゲーンで、インド風のスパイスを多めに使っています。インド、マレー経由でイスラム教とともに伝わったのではないでしょうか。後者はそのものずばりカレーの呼称ですが、カレー粉を使うことが多いのでカレー粉が広まってからのもののようです。
           
        
              ゲーンキャオワーン                        ゲーンマッサマン
   市販のMAE PLOYグリーンカレーペーストで作った自家製です          調布 タイ・トイ

 さて、北インド、南インド、タイのカレーを見てきましたが、印象としては、北インドのカレーは具にからめるソース的なもの、南インドやタイ(東南アジア)のカレーは具をなじませるスープ的なもの、と言えそうです。

5.カレーとラーメン、再び
 ここで、再び日本のカレーに話を戻します。今私たちが普通にイメージするカレーは、北インドのそれのように(或いはそれ以上に)、とろりとしたソース状です。それを、私たちは南インドやタイのように、ごはんにかけて、汁かけ飯として食べているわけです。単粒種でモチモチの日本のごはんにはソース状のカレーがよくからみます。
このほかにも日本のカレーの食べ方と、インドの食べ方には大きな違いがあります。インドのレストランでは、丸いおぼんのような皿なり、大きめのバナナの葉なりの中央にチャパティかごはんがあって、その周りを小さな器がぐるりと並ぶ定食スタイル(北では「ターリ」、南では「ミールス」と言われる)が一般的です。小さな器には数種類のカレー、スープ、ヨーグルトやアチャール(漬物)、ボリヤル(野菜炒め)などの付け合わせが入っています。時には好きなカレーをミックスしたりもしながら、色々な味を交互に、同時に楽しむのです。家庭の普段の食事はもっとシンプルですが、カレー一品だけということはありません。
 これに対し、日本では、レストランでも家庭でも、福神漬けや酢漬けらっきょう等の申し訳程度の付け合わせはあるものの、基本はカレーライスの一人舞台、一品完結型です。プラスアルファはトッピングして同じカレーソースの味に取り込んでしまう。(この辺は、ラーメンも同じですね) 日本のカレーは、具よりもソースそのものに重きがあるようです。

 しかし、カレー伝来の当初からこうだったわけではないでしょう。伝来したカレーは、カレー粉を使うものでした。カレー粉は使うには便利ですが、数種類のスパイスを一定の割合で配合した既製品ですから、画一的な香りになります。となると、差別化しようとしたら、手段は具以外では味付けしかありません。香りづけのためのスパイスには、基本五味(甘味、塩味、酸味、苦味、うま味)はありません。味付けは、スパイス以外のもので行います。油や、ニンニク、ショウガ、塩、その他です。(注:辛味は味覚ではなく痛覚で感じるもので、五味には含まれません)
 2006年9月28日の毎日新聞で帝国ホテルのカレーのレシピが紹介されています。その紹介記事によれば、1936年の二・二六事件の時に帝国ホテルのスタッフが警備の兵隊に炊き出しでカレーライスを提供し、そのことが都会の洋食だったカレーが日本中に広がる一つのきっかけになったのだそうです。そして、当時の「カレー」は、肉も野菜も水から煮て、カレー粉とでんぷんを入れてとろみを付けたものだったのに対し、帝国ホテルのカレーは、当時の料理長が欧州で習得してきたもので、みじん切りの野菜をバターで炒め、小麦粉・カレー粉を加えてさらに炒め、それからブイヨンなどでのばして仕上げるというものでした。
 今でもカレー粉の定番としての地位を保ち続けているヱスビー食品「赤缶」に記載されている「カレーライスの作り方」を見ると、①みじん切りの玉ねぎをきつね色になるまで炒める,②他の肉・野菜を炒め、水と固形スープの素を加えて煮込み、その後に③フライパンで炒めた小麦粉とカレー粉を②の煮汁でのばしてから鍋にうつし、塩・砂糖等で味を調える、とあります。スープの素が加わっています。そう、日本のカレーは、帝国ホテルのスタイル、スープでのばすところに特徴があるのでした。
 使われるスープとは、ブイヨン、コンソメ、鶏ガラスープ --- 肉や骨、魚、野菜、香辛料などを長時間煮込んで作る煮出し汁です。もともとフレンチが主力のホテルレストランなどのカレーは、当然このスープ(だし)から作ります。カレーに、別鍋でだしをとって加えるというのは、日本独特のプロセスです。長時間煮込んでとっただし --- ああ、なんということでしょう、ここにも、ラーメンとの共通点がありました。

6.プラスワン
 日本のカレーは、スパイスの香りで、だしがベースの味で、小麦粉でとろみがついたソースを、ごはんにたっぷりかけて味わう、というものです。これに、もうひとつ加わっている要素があります。隠し味です。
その前に、欧風カレーにまつわる話をしておきます。日本のカレーの起源は、カレー粉、小麦粉を使うブリティッシュカレーでした。そもそもヨーロッパのものなのですが、当時も今でもヨーロッパではカレーは料理ジャンルができるほどメジャーなものではありません。実は、欧風カレーとは日本だけの概念です。ヨーロッパのカレーということではなく、インドのカレーとは違うカレー、という含意でしょう。「欧風カレー」の歴史は比較的新しく、神保町「ボンディ」の創業者が、フランスのレストランで働いた時に出会ったデミグラスソースをカレーに取り入れ、「欧風カレー」と銘打ったことに始まります。インドのカレーとの違いは小麦粉を使うところですが、日本のカレーはそもそもそうですから、新しく名乗りをあげた欧風カレーは、デミグラスソースがそうであったように、隠し味(ヨーロッパ的な何か?)を多用することで新機軸を打ち出しています。
            
           
          元祖欧風ビーフカレー                THE牛野菜カレー
            神保町Bondy                 店舗数No.1 CoCo壱番屋

*余談ですが、ブリティッシュカレーはもはやイギリスには残っていません。結婚などでインド人のイギリスへの流入が増えるにつれ、イギリスのカレーはよりインド風に近づき、チキンティッカマサラなどのイギリス生まれのインド料理を生むようになっていきます。

 香り、とろみ、だし(うま味とコク)、プラスワンとしての隠し味。これが日本のカレーです。これらをすべてコンパクトにパッケージ化し、家庭でもカレーを気軽に調理できるようにしたものが固形カレールウで、早くも1950年に登場しています。「家庭のカレーをより美味しく」を目指したカレールウの熾烈な開発競争が、その後のカレーの消費の拡大、日常食化をもたらし、日本のカレー文化を豊かに発展させてきました。

7.うま味文化の中のカレー

 さて、ここで少し大きな話をします。日本のカレーとラーメンの意外な共通点は、味のベースになるスープ、だしにありました。だしとは、食材のうま味を水にうつしたもの。うま味物質として知られているものには、グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸などがあります。日本のだしの特徴は、肉や魚、昆布など、そのうま味をとったら、もとの材料は、(佃煮のように廃物利用はするものの)基本的にはお役御免というところにあります。食材のこんな贅沢な使い方が発達したのは日本だけのようです。
 日本の食文化を研究されている国立民族博物館名誉教授の石毛直道氏は、15世紀頃の世界の調味・香辛料の分布をもとに、世界を「東南アジア・魚醤圏」「東アジア・穀醤圏」「インド・マサーラ圏」「アラブ・タービル圏」「ヨーロッパ・スパイス圏」「アフリカ・油科植物圏」「太平洋・ココヤシ圏」「新大陸・唐辛子圏」に分けています。下図は石毛氏の著作をもとに作成されたものです。

 
                出典: ミツカン水の文化センター機関誌『水の文化』33号p.5

 このうち、「東南アジア・魚醤圏」と「東アジア・穀醤圏」が「うま味の文化圏」になります。牧畜をせず、乳しぼりをしないために肉や乳製品が少ない「モンスーン・アジア」です。コメと水は潤沢にありますが、ほかには、魚、野菜だけ。塩のみではそんなに食べられない。美味しく食べる工夫が必要です。ひとつの方法は油を使うことで、実際に中国では時代が下って鉄器が普及するに従い油で炒める料理が増えましたが、なぜか日本や東南アジアはそうはならず、発酵調味料が発達しました。魚醤であり、味噌・醤油といった穀醤です。これらはアミノ酸を豊富に含むうま味調味料で、適度の塩分も含みます。少ないおかずでコメを食べるのに最適でした。ハーブ、スパイスを多用する今の東南アジアの料理でも、ほとんどに陰で魚醤の類が使われています。(先のグリーンカレーでも、カピ、ナンプラーが使われていましたね)
特に、日本は、肉も砂糖も油も不足していたから、その中で何とか美味しく食べようと、涙ぐましい努力で、味噌・醤油といった調味料だけでなく、うま味を様々な材料から引き出して活用する「だしの文化」を発達させました。うま味を好むこうした背景があればこそ、インド原産でイギリス由来のカレー粉に、欧風だしを掛け合わせた調理法が日本で広く受け入れられ、今のカレーの隆盛に至ったのではないでしょうか。

8.大航海時代が変えた
 最後に、別の話になりますが、先の図を見ていて気付くことはありませんか。「新大陸・唐辛子圏」です。唐辛子は中南米原産です。唐辛子だけではありません。トマト、ジャガイモも中南米原産です。つまり、この図の15世紀の時点では、インドには唐辛子もトマトもジャガイモも存在しません。これらが、ヨーロッパを経由してインドに伝わりカレーに利用されるようになったのは、コロンブスが新大陸を発見して以降なのです。
先の図をみると、「東南アジア・魚醤圏」は「穀醤圏」「カレー圏」「ココヤシ圏」に接しており様々な味の交流点になっていることがわかります。しかし、隣の圏との間では味の相互影響はあるが、二つ離れると容易に交流はなされなかったようです。ペッパー=胡椒、ジンジャ―=生姜、マスタード=芥子 は言うに及ばず、ターメリック=鬱金(ウコン)、クローブ=丁子、シナモン=桂皮 と、スパイスには、漢字名があって古くから漢方薬として中国に知られていたものが数多くあります。しかし、中国にカレーのようなスパイス料理が伝わることはありませんでした。
 この状況を変えたのが、コロンブスに始まる大航海時代です。その代表例が唐辛子、トマト、ジャガイモ。新大陸から地中海世界にもたらされると、瞬く間にヨーロッパ全域、アフリカ、インドから東アジアにも到達、この食材の交流は、世界の味を大きく変えました。唐辛子以前のインドの辛味づけはペッパーとマスタードだったらしいですが、その時代のカレーは、トマトのなかった時代のパスタと同様に、なかなか想像しがたいものがあります。
世界中で人的交流も物的交流も極めて容易になった現代、これから各地の食も影響しあって新しい料理や味が生まれてくることでしょう。CoCo壱番屋の中国、台湾、タイや、ゴーゴーカレーのアメリカのように、ジャパニーズカレーも世界に出て行っています。カレーもまた新しい変化を見せてくれるはずです。

【主な参考文献】
旅行人編集部編「アジア・カレー大全 アジア中のカレーを食べ尽くしたい」(有)旅行人 2007
水野仁輔「カレーライス進化論」イースト新書Q 2017
作・雁屋哲 画・花咲アキラ「美味しんぼ24 カレー勝負」小学館1990
「決定版 レヌ・アロラのおいしいインド料理」柴田書店 2011
香取薫「家庭で作れる南インドのカレーとスパイス料理」河出書房新社 2015
氏家アマラー昭子「きょうのごはんはタイ料理」NHK出版協会 2002
石毛直道「世界の食文化とうま味 チーズ・魚醤・穀醤」ミツカン水の文化センター『水の文化』33号 2009
 *図を転載することをご許可いただきありがとうございました。



以上

(2017年10月)



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