たとえ日陰の身でも~いつもあなたのお〇〇に

国際部 飯崎 充


 Q. 問題です。次の食材は何でしょうか。
2014年日本の国別輸入先上位3ヵ国: 中国 米国 ロシア (出所:財務省貿易統計)
同  世界の生産量上位3ヵ国 :ロシア 中国 ウクライナ 
(出所:FAO(国連食糧農業機関)FAOSTATデータ)

 A. 答えは、「ソバ」です。
今回は、ソバについて見ていきましょう。日本そばと言うと和食の定番と思われるかもしれませんが、どうしてどうして、ソバは思いのほかワールドワイドな食材なのです。

1.ソバの生産量
日本のソバ消費量は12万㌧と言われ、そのうち輸入ものが約9万㌧。輸入先は中国が8割という圧倒的シェアで、残り2割の大部分を米国、ロシアで占めています。一方、ソバは現在ではアジア内陸部、ヨーロッパ各地、米国、カナダ、ブラジル、オーストラリア、南アフリカと世界で広く栽培されており、世界の生産量は約2百万㌧で、ロシア、中国が二大生産国、この二ヵ国合計で世界の3分の2近くを生産しています。ソバは冷涼な高地を好み、傾斜地、やせ地でもよく生育し、種まきから収穫までの期間が三カ月足らずと短いのが特長ですが、小麦は日本一国の消費量が約5百万㌧ですから、世界のソバの生産量2百万㌧はいかにも少ない。生産量は天候に影響されるとはいえ、1992年当時は約5百万㌧ありましたから、世界のソバ生産量は近年大きく減少しています。特に中国の減少が顕著です。これは、品種改良や耕作技術の進歩で他の穀物の単位当たり収穫量が上昇したのに対してソバはそうではなく、例えば日本での10アールあたり平均収穫量がお米550㎏に対して、ソバはせいぜい80㎏と、相対的に極めて収穫効率が悪い農作物になってしまい栽培面積が狭められていることによります。

2.ソバの由来
               
           ソバの花            ソバのぬき実-北海道産です。  ソバ粉-福島喜多方産です。
 
 そもそもソバとは何ものでしょう。植物学ではタデ科(双子葉植物)の一年生草本です。「たで食う虫も好き好き」の“たで”-ヤナギダテ(柳蓼)-と同科で、イネ科(単子葉植物)のコメやムギとは別ものです。ソバという和名は、山と山との迫る狭間、「ソワ」(岨)の転訛したもので、高冷地に生育するとの意味、或いは、実が三角でとがっているところ(三稜)が山の険しい形の岨に通ずると言われます。平安時代は曽波(そば)牟岐(むぎ)、久(く)呂(ろ)無木(むぎ)と書かれ、大陸伝来と思われる「蕎麦」の字を当てるのが一般化したのは少し時代が下ってからのようです。
 ソバは、普通種(甜蕎麦-他家受粉)と韃靼種(苦蕎麦-自家受粉)に大別され、韃靼種は多くが海抜千五百㍍以上の高地で栽培されています。韃靼種は普通種に比べてルチンの含有量が非常に多いのが特長です。普通種について、原産地はバイカル湖付近や黒竜江上流の東アジア北部との説もありましたが、現在ではDNA分析などから中国西南部、雲南省から四川省にかけての山岳地帯とするのが定説になっています。韃靼種は野生祖先種の分布が中国、ネパールからヒマラヤ山岳地帯まで広範であるため、原産地を特定できていません。
 収穫した殻のついたままのソバの実を「玄(げん)蕎麦(そば)」といいます。「玄」は黒の意味で、黒い殻を取り除いた実が「ぬき実」(或いは「むき実」)です。これを挽いて粉にしたものがソバ粉ですが、ぬき実を粗挽きしたものを篩にかけて落とされた白い粉(内層粉)が一番粉(さらしな)、緑がかった甘皮の部分まで挽きこんだものが二番粉です。一番粉はでんぷん質が多く口当たりとのど越しを楽しみ、二番粉はソバの味としての面白みが増します。
 余談ですが、日本のソバの輸入はかつてはほとんどが殻つきの玄蕎麦でしたが、現在ではぬき実での輸入の方が多くなっています。これは、枕の原料としての「ソバ殻」の需要が減少したためとのことです。枕で時代の移り変わりを感じますね。

3.日本でのソバ食の変遷
          
 調布布田増田屋さん:そばがき    同じく、温かい天せいろ            神田藪そば:せいろ-薄緑色です。

 日本ではソバのほとんどがいわゆる「日本そば」、麵(soba noodle)として消費されます。これは世界的に見れば極めてユニークで、日本独特です。その意味では「そば」は和食そのものと言ってよいでしょう。しかし、麵としてのそばの歴史はたかだか400年なのです。
 遺跡からソバの花粉が見つかることから、日本では稲作よりも早く、なんと縄文時代晩期には各地で既にソバが栽培されていたことがわかっています。日本で一番長い栽培の歴史を誇る穀物であるはずのソバですが、古事記、日本書紀、万葉集などの文献にソバの名前は出てきません。『続日本紀』に、元正天皇が、養老六年(722年)旱害不作に際して、救荒作物として「晩禾、蕎麦、大小麦」栽培を奨励するよう令した、との記述があるものの、その後もソバはなかなか歴史文献に登場しません。万葉の時代から日本は少なくとも権力層の間では「米」文化になっていて、ソバは困った時だけの救荒作物、稲作が困難な山間部で細々と栽培される日陰の作物となってしまったかのようです。
 しかし、そのソバが、いくつかのイノベーションを経て、江戸時代に表舞台に登場することになります。
 古代日本でなぜソバは食料としてあまり発展しなかったのか。それは製粉が難しく、粉食がなじまなかったことが大きいでしょう。古代の摺り臼は効率が悪く、製粉は大変な手間。粒食では、ぬき実の「そば粥」「そば粒飯」では米に適わないから利用がなかなか進まなかった。これは小麦も同様です。
 従って、大きなイノベーションの一つ目は製粉機の登場でした。鎌倉時代臨済宗の高僧の聖一国司が宋から帰国する際に水車応用の製粉機のスケッチ(水磨の図)を持ち帰りました。これをきっかけに製粉の技術・効率が著しく進歩、ソバの粉食が普及します。ただ、この段階ではソバ粉を練った「そばがき」「そば団子」でのソバ食であり、まだ麵食にはなっていません。小麦粉のタンパク質はグルテンが多く、水を吸収して膨張、弾粘性を持って結びつくため、手延べでも細長く加工しやすいのに対し、ソバ粉のタンパク質はグロブリンで水に溶け易いので、水で練ると他の成分と分離しやすく、ぼそぼそになって麵線に加工することが難しかったのです。
 ソバの麵「そば切り」の発生がいつかははっきりしませんが、織田信長の時代である1574年(天正2年)にしたためられた木曾の「定勝寺文書」に「そば切り」の記録が現れます。(注:ソバの麵は、当初「そばがき」と区別するために「そば切り」と言われました)しかし、その後すぐにそば切りが普及したとの記録はありません。2016年NHK大河ドラマ「真田丸」に信濃のソバが登場しましたが、まだ「そば切り」はなく「そばがき」の時代でした。
そば切りに様々な工夫が加えられて本格的に普及を始めるのは17世紀も半ばになってからです。工夫の一例を挙げると、切れやすい「生そば」(ソバ粉だけでつなぎなし)を切らずに出すために考えられたのが、茹でずに蒸籠(せいろ)で蒸してそのまま客に出すというやり方で、その名残が現代の「せいろ」です。
ソバ食の大きなイノベーションの二つ目は、小麦粉を「つなぎ」に使うことの発見でした。寛永年間(1624-44)に、朝鮮僧の元珍が南都東大寺に伝えたと言われます。ソバ粉に少量の小麦粉を混ぜることでソバは白く粘り強い麵に加工できるようになりました。現代につながる「そば」の誕生です。この小麦粉つなぎによる製法が江戸を変えました。江戸も開府当初は京、上方の文化に憧れてうどんの文化であったようですが、江戸が経済力をつけるにつれて町民に江戸文化意識が芽生え、上方への対抗もあって「そば」を江戸っ子の食べ物に押し上げ、そば文化が発展していきます。
江戸時代、江戸を起点にしてソバ食はイノベーションを重ねます。「蕎麦屋」の登場もその一つでしょう。初期は屋台を担いで売り歩く「荷売り」でしたが、時代が進むと「荷売り」から店を構える「饂飩屋」が現れ(注:そばを商っていてもうどん屋と呼ばれました)、18世紀享保~宝暦の頃までには「饂飩屋」から「蕎麦屋」に名が変わります。今も続く「蕎麦屋」である、麻布永坂町の「信州更科蕎麦処」(白く上品な更科そば)、雑司ケ谷鬼子母神前の「藪そば」(ぬき実の甘皮の色を入れた薄緑色そば)をはじめ、蕎麦屋は大江戸中に広がり、江戸時代末期、府内の蕎麦屋は3700店余りになっていたといいます。因みに、ソバ専門の外食屋という業態は日本以外には見当たりません。
食べ方にもイノベーションがありました。「そば切り」は汁につけて食べるもの(いわゆる「もりそば」)でしたが、手軽にたべる「冷やかけ」ができ、寒い季節には温めた汁をかけた「ぶっかけ」(いわゆる「かけそば」)を出すようになり、江戸時代末期には「ぶっかけ」に色々な具をのせた「加薬そば」(「南ばん蕎麦」「天ぷら蕎麦」など)が出ます。現代の「蕎麦屋」の基本メニューは江戸時代に確立していました。(注:南ばんとは蕎麦屋では葱のことです。南蛮人が日本という見知らぬ国で保健・殺菌の目的で葱をさかんに食べたことから、南蛮人の好む食べ物として葱を南ばんと称しました)
このように、江戸時代に日本でソバのイメージは大きく変わりました。「引越しそば」「年越しそば」の習慣も江戸時代に始まっています。(注:年越しそばについては、金銀細工師が飛散した金粉銀粉をソバ粉を使って集めたことから、掛け金の回収の前に縁起担ぎとしてそばを食べたのが、晦日や大晦日にそばを食べる習慣になったとの説があります)日陰ものの「救荒食」から縁起の良い「粋な食べ物」に変わったこと、これが最大のイノベーションかもしれません。

4.ソバの伝播
 さて、日本のソバ食に紙数を使いすぎました。次に世界のソバを見ていきます。まず、世界の言語でソバ或いはソバ粉はどう呼ばれているのでしょうか。
・中国語:蕎麦(チアオマイ)(或いは 花麦、三角麦とも) 
「蕎」は「草+喬(高い)」で、「岨」と同じ「険しい高地」「尖った」の含意でしょう。
・韓国語: メミル (山の形のコムギ)
・モンゴル語: ウラン.ブッダ Uran Budda (黒いコムギ)
・ネパール語: ファーパルPhapar 語意は ?
・英語:バック.ウィート Buckwheat   ドイツ語:ブーフ.ヴァイツェン Buchweizen
 デンマーク語:ボグ.ヴェード Boghved オランダ語:ブック.ワイトBoekweit
  これらはいずれも語意は「ブナ.コムギ」で、ラテン語のファゴピラム Fagopyrum、ギリシャ語のファゴーピロFagopyroと同じです。ブナと似た形の実を付ける小麦のような作物ということと思われます。
  一方でドイツ語にはもう一つの呼び方 ハイデ.コルンHeidekornがありますKornは穀物の意味ですが、Heideには「荒れ野」のほか「異教徒」の意味もあります。
・スロベニア語: アイドゥア Ajda 語感としてドイツ語のHeideと同じ起源を感じます。
・フィンランド語: タッタリ Tattari これはタタール人の意味でしょう。
・フランス語: サラセン Bl noir sarrasin(サラセンの黒い麦)
Farine de sarrasin(サラセンの粉)
・イタリア語: グラノ.サラセーノ grano saraceno (サラセン人の穀物)
・スペイン語: トリゴ.サラセーノ trigo sarraceno (サラセン人の小麦)
        別称で アルフォルフォンalforfon (革袋で運ばれる遠征糧食)
・ポルトガル語: トリゴ.モーロ trigo mouro (ムーア人の小麦)
・ロシア語: グレチーハ гречиха(ギリシャ人の穀物)

 中国西南部で野生種から栽培種ができて、中国では古くからソバが栽培されてきました。前述したように、日本には縄文時代に朝鮮半島を経て九州へ、或いはシベリア、沿海州を経由して北海道、東北へ伝わったと考えられます。極東の中国、韓国、日本の呼び方には類似した感覚がうかがわれます。
一方で、ヨーロッパでソバに関する記述が文献で確認されるのは14世紀に入ってからですが、いつどのように伝播したのか、正確なことはわかっていません。紀元前にアレクサンダー大王の遠征軍がインドからギリシャに持ち帰った、13世紀にモンゴル軍(タタール)が持ち込んだ、十字軍遠征でイスラーム(サラセン)から伝わった、イスラーム商人がシルクロードや海路で地中海諸国に運んだ等の説があり、各地の今に伝わる呼び方からも色々と想像を逞しくすることができます。原産地からモンゴル高原、中央アジアを経る北部ルート、カシミールからイスラーム圏を通る南部ルート、或いは海路など複数の経路で伝わったのではないでしょうか。
そして、やせ地でも育つため、ロシア、東欧などを中心にソバは麦の不足を補うものとして普及します。フランスのブルターニュ地方、北イタリアのアルプス山岳地帯ヴァルテッリーナなど小麦が育たない土地ではソバが主要作物になっていきます。アメリカには17世紀にオランダ植民によって持ち込まれ、次いでカナダに伝わりました。

5.世界のソバ食
 ソバの一人当り消費量が多いのは、スロベニアをはじめとした東欧諸国、ロシアと、ネパール、ブータンやチベット・ヒマラヤ山系に属する土地の人々で、彼らにとってソバは日常食です。このうちスロベニアは一人当りでは日本の14倍もの量を食べているというソバ大好きの国です。このようにソバはワールドワイドな食材なのですが、みなさんが海外旅行をしてその土地のソバ料理を食べたという意識はあまりないのではないでしょうか。それほどにソバの存在感はありません。
日本ではソバはほとんどが麵として消費されますが、世界的にはソバを麺に加工して食べるのは極めて少数派で、中国、韓国、北朝鮮、ブータンやネパールの一部に見られる程度です。韓国、北朝鮮のメミルククス(そば麵)、平壌冷麺が目立つ程度でしょうか。
 麵以外の食べ方は粒のままの粒食と、粉にした粉食に分けられます。ロシア、東欧、北欧は粒食が多い。ソバのぬき実はすべて食べられますから、全粒か挽き割りを煮て味付けしたカーシャ(ソバ粥・リゾット)やソバ粒飯、ソバの実の腸詰めなどが家庭の日常食としてなっています。家庭にぬき実を茹でたものが常備されていて、その時節の作物と合わされて調理されます。基本的に家庭の料理で、わざわざ外食に出かけて食べるものではないようです。
           
        叙叙苑新宿店:ソバ粉冷麺                 六本木 ロシア料理バイカル:
                                       付け合わせがグレーチカ(ソバの実)です。

 粉食としての利用は千差万別です。ソバ粉単独、もしくはソバ粉が主の食品としては、小麦が育たたない土地柄のためにソバ栽培が進んだブルターニュのソバ粉ガレット、ヴァルテッリーナのソバ粉の幅広で短めの線状パスタ「ピッツオッケリ」がありますが、そもそもソバは麦や他の穀物の不足を補うものですから、ソバ粉は小麦粉や雑穀の粉の増量、風味付けとして混ぜて使われるのが普通で、次のような様々な食品になっています。
 練った状態で食べる「そばがき」に類するものとして、中国の涼粉(くずもち、ところてんの類)、韓国のメミルムッ(蕎麦豆腐-そばがきを冷やして固めたようなもの)、ネパールのディード、イタリアのポレンタ・タラーニャ、スロベニアのジガンツィなど。
 だんごに類するものとして、各地の餃子・包子、パスタ、すいとん・ダンプリングの類。
 薄く或いは厚く焼いたものとして、インドやチベット・ヒマラヤ山系のチャパティー、ナン、ロティ、中国西南部の石板糯糯、ヨーロッパのガレット、クレープ、ピザ、パンケーキ(ロシアはブリヌィ、オランダはポッフェルチェ、スロベニアはズリヴァンカ) など。(因みに、1975~82年にNHKで放映された『大草原の小さな家』に出てくるパンケーキはソバ粉のパンケーキでした。舞台である1870~80年代開拓時代のアメリカ西部では小麦粉は貴重品だったのでしょう)
この他にも、ソバ粉は、ソーセージのつなぎ、フライのまぶし粉に使われたり、オートミールや黒パンの原料、プディング、ケーキの材料になったりしています。そして、ビール醸造や蒸留酒(ウォトカ)の原料にもなります。(日本にもそば焼酎がありますね)もちろん、家畜の飼料としても使われます。
              
        新宿ブレッツカフェクレープリー:               藤沢蕎麦粉食堂Buckwheat:
             ソバ粉ガレット                   ガーリックバターソースのピッツオッケリ

               
        巣鴨ネパール料理プルジャダイニング:           自家製 ソバ粉1:小麦粉1 のパンケーキ
     ソバ粉キビ粉などのディード---これは、そばがきですね。  焼いてしまうと元の材料はわかりませんね。

 このように、ソバは今でも世界で穀物として広く使われているのですが、単独では表に出てこないため目立ちません。日本では主役として表舞台に出ることができましたが、世界全体としてはまだ日陰ものの作物のようです。しかし、ここにきて世界的に伝統食、或いは健康食としてソバが見直され、ソバ粉によるグルテンフリーのパスタや、ソバ粉入りパンケーキに人気が出始めているのは、ソバ好きにとっては嬉しいニュースです。

6.終わりに
ソバ粉のガレットやパンケーキは日本でもおしゃれな料理としてカフェレストランなどで提供されるようになりました。また、和食のそばの方からも洋風アレンジを取り入れたフュージョンが見られるようになっています。これに「そば」らしくないと眉をひそめるのは無粋というものでしょう。江戸時代にそばの食べ方は大きく変化しました。「天ぷら蕎麦」が登場した時には、その意外な組合せ、その美味しさで当時の江戸の庶民の度肝を抜いたはずです。今後も新しい試みが新しいそば文化を生みだしていくのだと思います。
           
      京橋soba ristorante na-ru :       同じく 蕎麦がきのグラタン          同じく カニのトマトクリーム蕎麦
       蕎麦の実入りカポナータ

ただ、気になるのは、世界のソバの生産量が減少していることです。最初に述べたように、ソバは経済効率的には割の合わない農作物となってしまいました。フランス(ウクライナに次ぐ世界4位のソバ生産大国)や日本は補助金を出してソバ生産を維持しようとしていますが、中国の生産量が急減しているように、他の生産国でも他作物へのシフトが起きるようだと、日本のそば文化にも影響が出てくることが危惧されます。

【主な参考文献・website】
植原路朗著 中村綾子改訂編:改訂新版 蕎麦辞典(東京堂出版2002)
氏原暉男:ソバを知り、ソバを生かす(柴田書店2007)
米原万理:蕎を伝播した戦争(季刊「新そば」編『そばと私』文春文庫 2016所収)
十割そば健康法普及協会ホームページ http://www.10soba.net/
横浜税関貿易トピックス 平成27年12月発表:そばの実の輸入
漆原次郎:中国4000年より深い「そば」の歴史9000年
(JB PRESS食の研究所>特集>日本食の先端科学 2011.11.18)
食の雑学18 そば(蕎麦)の原産地と日本への伝来 http://www.in-ava.com/soba.html

その他、個別の事項ごとにWikipediaや、蕎麦に関する各種websiteを参考にしました。


以上

(2017年1月)

戻る