紅豆(あかまめ)のアン ~ あんこは世界を救う!かな?

国際部 飯崎 充

 日本のお菓子は世界の中で比べても間違いなく美味しいです。菓子庵・パティスリーの専門店頭で販売されるいわゆるショーケースものだけでなく、一般のスーパー・コンビニ・食料品店で普通に売られている袋もの・焼きものも、洋菓子・和菓子を問わず美味しくいただける。しかも見た目がきれい。袋のなかにさらに1個ずつの個包装など配慮も行きとどいている。高級菓子に限らず、低価格の大衆的な日常菓子といえども丁寧に細かい所まで気を配ってつくりあげる、日本のものづくりの心意気がお菓子にも表れています。
 こんな日本のお菓子が本気になれば世界に受け入れられないわけがない、とかねがね思っていましたが、その通り、新興国で中間層の所得が拡大するにつれて日本のお菓子メーカーの海外での活躍が目立つようになってきました。「えびせん」「ポッキー」「トッポ」といったスナック菓子の定番商品に加え、最近では「ハイチュウ」や「堂島ロール」などの評判が伝わってきます。日本のメーカーの製品とは言いかねますが、来日外国人観光客の間では「抹茶キットカット」が爆買いを呼ぶブームになっているとか。
                       
 (タイのグリコのプリッツ、ラーブ味です)      (外国人観光客に大人気の抹茶キットカット)

 日本はお菓子についても嗜好が多様で、いつでもどこでもあらゆる種類のお菓子が手に入り、評判になる新製品が次々と生まれていますが、地味ながらも根強い人気を誇るのが和菓子です。全日本菓子協会のここ10年間の統計によれば、和生菓子(饅頭、羊羹、他)の生産量は、一貫して洋生菓子(カステラ、ケーキ、ゼリー、プリン、他)の1.5倍あり、生産量もほぼ横ばいで来ています。
    *全日本菓子協会e-お菓子ネット資料より作成

 では和菓子の鍵となるものとは何でしょう。それは「あんこ」だ、という意見に異論をはさむ人はほとんどいないのではないでしょうか。日本のスイーツならぬ甘味といえば「あんこ」。饅頭、大福、最中、どら焼き、たい焼き、きんつば、おはぎ、羊羹、ぜんざい・汁粉 --- み~んな「あんこ」です。洋物に「あんこ」を加えた日本オリジナルとして、あんパンに、あんドーナツ、小豆アイス、そうそうシベリアなんてお菓子もありますね。
小豆を煮て砂糖を加えて作る「あんこ」が和のスイーツの中心にあります。和菓子とは「あんこ」をいろいろな「ころも」で包んだものと言えるかもしれません。和菓子の中味は「あんこ」、単純そのもので、何口食べても小豆と砂糖の味しかしないのに、日本人は「あんこ」に魅かれてやみません。
        
   (こしあんのお饅頭です)      (ミニどら焼きと一口羊羹)  (あんパン、胡桃入りです)

 日本のスナック菓子が海外に広く受け入れられつつあるのに対して、和菓子にはまだ海外進出には壁があります。供給面では、和菓子は日持ちがしないために製品輸出が難しいこと、それに職人技的なところがある和菓子は現地生産では材料・水も違って同じ味の再現が困難ということが原因でしょう。しかし、供給面よりも需要面である嗜好・味覚の違いが一番の原因だと思われます。「あんこ」の味は後天的嗜好“Acquired Taste”と言われ、初めて味わう人でも美味しいと思える甘味ではなく、「豆が甘い」という食文化がない欧米人には、小豆が原料で独特の粘り気にザラザラ感があってしかも色が黒い「あんこ」はとっつきにくいようです。(チョコレートだって黒くて元はカカオ豆だけど---、と言いたいところですが)日本人は小さいときから「あんこ」に慣れ親しんでいるので意識しませんが、味覚は文化、美味しいと感じるには時間がかかるものなのです。

 小豆は中国語では“紅豆”、英語ではred beans或いはazuki beans、赤い豆ですね。世界の豆の中ではマイナーな存在で、主な産地は東アジア、昔から一般に流通して食用としてきたのは、日本以外では中国、韓国、台湾くらいです。「あんこ」を使ったスイーツとしては、中国北方の豆沙包(あんまん)、驢打滾(ロール状のあんこ入り黄粉餅といったところでしょうか)、月餅や、華南・台湾の紅豆沙・紅豆蓮子湯(ぜんざい・汁粉の類)のほか、韓国・台湾・東南アジアでかき氷やフラッペのトッピングになっている例などがあります。でも、中華風のあんこは、ごまとか油が入っていたりで日本のあんことはちょっと違うし、甘みはぜんざいも含めて概して控えめ。そしてお菓子・軽食、デザートとして「あんこ」はそうそう日常的に食されるものではありません。アジアで見ても、日本人の「あんこ」好きは突出しています。「あんこ」は日本の味、嗜好にあったとしか言いようがありません。
   
 では「あんこ」はどのようにして生れたのでしょうか。
 材料となる小豆は、ルーツには諸説ありますが、日本では縄文時代の遺跡からも出土していて古事記にも記述があるなど、相当早くから栽培されていたと推測されます。小豆は一般的に「雑豆」に分類されます。「雑豆」とは、豆類から大豆と落花生を除いた、小豆、インゲン豆、ささげ、そら豆、えんどう豆などを総称したものです。「あんこ」製造には、主成分としてでんぷんとたんぱく質をおおむね2:1の割合で含み、脂質は1~2%程度しか含まないものがよいとされ、雑豆、なかでも小豆が最適です。
 実は「あんこ」の「こ」は明治時代になってからついたものだそうで、それまでは「あん」、漢字では「餡」ですね。「餡」とは本来「中に詰めるもの」の意味です。米や麦で作ったもちやだんご、餃子といった食べ物の中に詰める具材全般を「餡」と言います。中国では多くは肉や野菜です。その「餡」が日本ではいつの間にか小豆で作るものに変わってしまうのですが、通説ではそのルーツは鎌倉・室町時代に大陸中国から伝わった羊羹と饅頭にあるとされています。羊羹とは読んで字の如く、もともとは羊肉の「あつもの」、つまりとろみのあるスープのことです。伝えたのが中国から帰った禅僧たちだったので、肉食禁止の手前、小豆・米などを使い羊肉っぽく成形したものに汁をかけた精進料理に仕立てて食べた。それが時を経るにつれて汁がなくなり今の蒸羊羹のようになっていきました。
一方の饅頭ですが、やはり鎌倉時代に禅僧によって伝わりましたが、当初は餡なしのものだった可能性が強い。餡入り饅頭(いわゆる「包子」)を伝えたと言われるのが、室町時代に帰朝する日本人禅僧について元から渡って来た林浄因なる人物です。この人物が肉食を禁じられた僧侶たちのために、肉の餡の代りに当時の甘味料である甘葛煎(あまづらせん)と塩で味をつけた小豆を餡として饅頭の皮に詰めたという、いかにもそれらしき説ですが、真偽のほどはどうでしょうか。いずれにしても「あんこ」の始まりは、禅僧たちが肉の代用として小豆を使いだしたことにあるようです。

 さて、小豆の餡が「あんこ」になるにはもう一段の飛躍が必要です。甘み、すなわち砂糖です。砂糖は奈良時代には中国から伝わっていましたが流通量は極めてわずか、貴重な品でした。それが室町から安土桃山時代にかけて茶の湯が広まるのと同じ時期に、南蛮貿易が盛んになって南蛮菓子(かすていら、金平糖)が渡来、それに刺激されて茶菓子が色々できて、それを作るために砂糖が本格的に輸入されて流通するようになります。日本人の砂糖好きを示すエピソードですが、17世紀初めの日本の砂糖の輸入量はイギリスの輸入量の15倍、ポルトガル商人が、中国で砂糖を仕入れた値の2~4倍、マカオの白砂糖なら仕入れ値の10~20倍もの値段をつけても売れたそうです。当時の日本は銀の一大輸出国でしたのでそれができたのかもしれません。
しかし、徳川幕府はいわゆる海禁政策をとって海外との貿易窓口を長崎の出島に制限します。また、頼みの国産の銀の産出量がジリ貧をたどり、17世紀も半ばを過ぎると底をついてしまいます。こうした事態を憂慮したのが八代将軍徳川吉宗です。享保の改革で辣腕を振るった吉宗は大の甘党だったことをうかがわせる逸話の持ち主。輸入に頼らず砂糖を賄おうと、サトウキビを既に栽培の始まっていた琉球から手に入れて自ら江戸城内で栽培を始めるなど、全国に砂糖の国産化に向けた取組を奨励します。殖産興業策の一環でもありました。そして、吉宗以降、あの平賀源内を含む全国の本草学者や医師など当時の衆知がサトウキビ栽培と和製砂糖の製品化に動員された結果、江戸時代後期には砂糖が潤沢に出回るようになります。
 小豆が精進料理の材料として使われた歴史があり、餡を詰めるという調理法が渡来し、それに砂糖の普及・大衆化が加わって、江戸時代の庶民に甘いあんこが爆発的に広まり、和菓子文化の花が咲きました。江戸時代後期から明治時代にかけて、今につながるあんこの名物菓子が次々と生み出されていきます。最中、今川焼、大福餅、練羊羹、甘納豆、あんパン、あんみつ、どら焼き --- いずれも画期的な新製品として評判を呼び、定番の地位を築いて今に至っています。
        
   (小豆の形状が残る甘納豆です)           (粒餡になりました)

 第二次世界大戦末期から戦後間もないころまで、原料である小豆、雑豆が統制となったため、さすがのあんこ製造も一次下火となりますが、昭和26年に統制が解除されるや、国民の甘味待望の声に応えてたちまちあんこ製造は復活、和菓子だけでなく、さらにパン食の普及とともにあんパン用を始めとする製パン業界の需要が加わりました。日本の甘味にはどこまでいってもあんこがつきもののようです。

 さて、あんこと海外の関わりについて少し触れていきましょう。
 小豆の利用と砂糖の添加というきっかけこそ海外由来でしたが、これまで見てきたようにあんことそれを使った和菓子は日本で発達し、日本で親しまれてきたものです。現代になり経済活動がグローバル化する中でも、あんこと海外の関係はこれまではもっぱら輸入によるものでした。一つは原料である小豆の輸入です。現在日本で消費される小豆の量は年間8~9万㌧、期末で在庫になる量を加えた年間供給量は11~12万㌧になります。ピークの1990年は消費量が11万㌧、供給量が14万㌧でしたがその後は漸減傾向にあります。供給量のうち2~3万㌧が輸入です。小豆など雑豆は、輸入が自由化された大豆と異なり、今でも関税割当制度の対象です。政府が国内生産の状況を見て、国内生産で充足できない数量で輸入割当数量枠を決める方式となっています。枠内であれば輸入関税は10%ですが、限度枠を超えると大幅に跳ね上がりますので実質的な輸入制限です。小豆の価格は豊作不作で毎年変動するものの国産と輸入品の間には大きな格差(2.2~7倍)があります。しかし、和菓子庵など需要家には国産小豆優位信仰が厳然として存在します。輸入先は以前は圧倒的に中国でしたが、2000年代以降急速にカナダのシェアが高まっています。
 平成以降目立つようになったのが、小豆の加糖調製品、いわゆる加糖餡(製品餡)の輸入です。加糖調製品には輸入規制はなく、一般関税(28%)で輸入が可能です。1970年代に開発輸入によって始まり、1990年代後半から急増、2011年の輸入量は7万6千㌧(小豆換算で3万㌧強)になっています。輸入先はほとんどが中国です。これが、国内の小豆の消費量が1990年の11万㌧から2012年の8万㌧に減った理由であり、中国からの輸入が小豆から加糖餡に変化したことを表しています。
 中国から加糖餡の開発輸入を始めたのは日本企業です。餡製造業者によるもののほか、菓子などの食品業者、流通業者らが手掛け、近年は中国資本によるものも増えています。狙いは、ずばりコストダウン。小豆、及び砂糖には輸入数量制限がありますが、加糖調製品にはありません。小豆、砂糖の内外価格差を使い、その産地である中国で低廉な人件費で輸入制限のない加糖調製品に加工して、価格の安い製品餡を日本に供給しようというものです。とはいえ、あんこの製造法は日本で発達したもの、中国に同様の伝統はなく、材料である小豆も砂糖も水も日本のものとは異なります。国産の味の再現は難しく、最初は販路は一部の低価格品需要向けに限られたようですが、試行錯誤を重ねるに従い品質が向上、菓子パン、アイス、たい焼き、大福、おはぎなど幅広い大衆商品に浸透していきました。1990年代、アパレルや家電の製造業と同様に、あんこ製造でも海外進出・空洞化が進んだのでした。
 加糖餡の輸入急増により困難な立場に追い込まれたのが国内の餡製造業「あんこや」です。「あんこや」は和菓子製造業、製パン業などに製品餡を納める立場。大衆商品向けは輸入加糖餡との価格競争にさらされることになりました。でも、あんこにおいても価格は万能ではありません。和菓子庵(和菓子製造小売)はいまでも粒餡で9割、練餡で5割が自社製造です。和菓子では餡の価格が原価を左右する一方で、餡こそが和菓子の商品価値を決めると考えられています。だからこそ、自社製造に、それぞれのころもに合わせた自分の味にこだわる。日本酒の蔵元と一緒ですね。お菓子は嗜好品、いつでもどこでも手軽に同じ味が楽しめるという世界がある一方で、それとは別の世界があります。価格にこだわらず好みにこだわる、その場所その時々で多様性を楽しむ、庶民のこうした嗜好が江戸時代以降の和菓子文化を豊かにしてきたのです。そもそも嗜好品は「差別化」の世界。餡製造業も、和菓子製造の良きパートナーとして、多様な好みに応え、求められる味を、たとえ少量ずつでもつくって届けるところに道を見出しているようです。
 
 最後に、あんこ和菓子の海外進出についてです。需要と供給双方の制約から和菓子の海外進出には壁があります。1980年からパリに出店している「虎屋」、1994年以降シンガポール、台湾、ニューヨーク、ロンドン等に出店している「源 吉兆庵」のように既に長い海外進出の歴史を持つ企業の例はあるものの、和菓子の存在が世界の庶民にまで知られるには至っていません。
 しかし、考えてもみましょう。今でこそ和食は世界に広く受け入れられて、世界中に日本料理店があるようになりましたが、ここに至るまでには長い道のりがありました。和食が評価されるようになったのは、その美味しさ、見た目の美しさとともに、低カロリーでヘルシーなイメージが大きな要因でしょう。ある意味、時代の要請で世界の味覚が変化したと言えるかもしれません。和食Japanese tasteはクール&ヘルシーなのです。
そして、その要因は和菓子にもそっくりそのままあてはまります。見た目が美しいのは言うまでもありません。カロリーは、洋菓子のショートケーキ292Kcal、チョコレートケーキ352Kcal、ミルフィーユ448Kcalに対し、和菓子は、こしあんだんご131Kcal、あんみつ247Kcal、どら焼き256Kcalで、相対的に低カロリーです。(*TANITAの摂取カロリー早見表(その出典は女子栄養大学出版部)によります)また、あんこの材料は小豆などの雑豆。先に述べたように、雑豆は、大豆・落花生と違い脂質が極端に少ないことが特長です。冗談ではなく、あんこは肥満に悩む世界を救う可能性があるのです。和食の寿司・刺身や醤油の香り・味が美味しいと感じられるようになったように、あんこもこのヘルシーさが決め手になって世界の味覚が変わり、その味が世界中でクール&ヘルシーと評価される時が来る、と期待したいです。

 その突破口になりそうなのが、どら焼きではないでしょうか。どら焼きdorayakiには既に英訳があります。Bean Jam Pancake、そうどら焼きはパンケーキなのですね。和菓子を全く知らない人にもとっつきやすい形状です。そのどら焼きで世界に打って出ている企業があります。鳥取県米子市の「丸京製菓」です。独自の氷温熟成の手法で添加物なしでも日持ちのするどら焼きを開発した企業ですが、冷凍コンテナで商品を運び現地で解凍する方法で、2004年から北米への輸出を開始、アジア系スーパーを主なターゲットにした販売が成功し、次はその米国での成功をブランドにして韓国、台湾、東南アジア、中国にも販売を拡大しました。あんこに馴染みのあるアジア系から始めて、今では欧州、中東、豪州にも販路を広げ台湾では現地生産も始めています。
       
(丸京製菓の自信作「極みどらやき」)       (栗入りどらやき 海外向けパッケージ)

 そして、そのどら焼きをつくる機械のメーカーである埼玉県所沢市の「マスダック」も隠れたグローバルメーカーです。同社は国内で和洋菓子用のオーブン、充填成型機の分野で圧倒的なシェアを持ち、早くから海外の食品関係の展示会に積極的に出展して世界に売込み活動を行っていました。その全自動どら焼き機は、Sandwich Pancake Machine、人形焼き機は、Manju Fun Cake Machineとなって、欧州、米国、ロシア、イラン、中国、台湾などに輸出実績を積み上げています。輸出された機械で、アジアではあんこを挟んだどら焼きそのものも作られていますが、アジア以外でのフィリングは今のところチョコレートクリームやカスタード、ジャムなどです。
    
    (サンドイッチパンケーキマシン)          (海外展示会での実演風景です)

 このように、既に世界でどら焼きをつくる機械は稼働しており、アジア以外でもどら焼きの販売は広がりつつあります。クールジャパン、和食文化の普及活動の一環で和菓子の認知が世界に広がり、あんこの供給ルートが整えば、どら焼きがBean Jam Sandwich Pancakeとして、あんこ入りの人形焼きがミッキーマウスなどの絵が入ったCharacter Cakeになって、世界中で出回るようになるかもしれませんね。


【参考文献、サイト】
1)あんこの歴史については、主として、姜尚美「何度でも食べたい。あんこの本」(京阪神エルマガジン社2010年)と 漆原次郎「『饅頭食べたい』禅僧の思いが生んだ日本の甘み」(JB Press 食の研究所2012.03.23)に拠り、加えて個別事項、人物についてはwikipediaほかを適宜参照しました。
2)小豆と加工品の流通については、野島直人「小豆の製品市場2極化と流通・加工業の企業行動」(現代社会研究2013. 11号)、平松帆波「豆を以て『あんこ』造りて候」(豆類時報No.27 2002.6)を参考にしました。
3)製品輸出については、小川孔輔「世界に羽ばたく日本の食文化:『和食の次は和菓子でしょ。』」(同氏のofficial website 2014.01.07)、「隠れた世界企業:どら焼きが運ぶ米子の夢 丸京製菓」(日経ビジネスオンライン2009.12.8)、及び丸京製菓㈱、㈱マスダックのホームページを参考にしています。両社には画像使用の許可と画像提供をいただきました。誠にありがとうございました。


以上

(2015年7月))



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