中小企業の海外展開支援と撤退のあり方について

元山純一郎 

はじめに
 安倍首相が主導する「日本再興戦略」では、平成30年までの5年間で海外展開企業数(輸出・直接投資)を10,000社増やすことが閣議決定されており、経済産業省・中小企業庁はもとより、中小企業基盤整備機構やJETRO,JICA、HIDAなど多くの支援機関がこぞってさまざまな支援策を打ち出している。しかし、国内の事業環境に比べて海外での事業展開にはリスクが多く、企業側にさまざまな対応や負担を強いることになる。国内ではほとんど意識していない政治体制や経済政策のマクロ環境や特定の産業や企業が直面する事業環境が国内とは比較にならないペースで変わるからである。
中小企業を対象とした中小企業基盤整備機構『中小企業海外事業活動実態調査』(調査対象:5万1000社、調査期間2012年3月~4月)によれば、「これまで海外へ直接投資した経験はまったくない」が63.2%を占め、「これまで海外へ直接投資した経験はあるが、撤退・移転は1回もない」が16.9%、「これまで海外へ直接投資した経験があり、撤退・移転を1 回した」が9.2%となり、撤退・移転経験は全体の約1割に達する。撤退・移転の検討についての変化をみると、「1990年代」の15.2%から2000年以降増加傾向を示し、「2000~2004年」は19.0%、「2005~2009年」は37.4%となり、「2010年以降」は2年強だけで22.8%に達している。また、大企業を含む日本企業の海外進出に関する調査(帝国データバンク:2014年11月)の結果によれば、直接的な海外進出が「ある」と回答した企業1611社のうち、「撤退は考えていない」とする企業が907社(56.3%)である一方、「撤退または撤退の検討あり」と回答した会社は635社(39.4%)となっており、約40%の企業が「撤退又は撤退の検討」を行っている。一般的には、日本企業が海外進出後に直面する課題としては、信頼のおける現地パートナーの選定、現地マネジメント人材の確保が困難、技術・ノウハウの流出、売掛債権の回収が困難、原料や部材調達の難しさ、模倣品問題、等が多く挙がっている。今後、外国との取引経験の少ない中小企業者の海外展開が増えることになれば、「撤退または撤退の検討」を行う企業の数はますます増えることが予想される。


海外展開における戦略の重要性
 小生も限られてはいるがJICA案件化調査や中小企業基盤整備機構の支援スキームに参加する機会があり、海外展開に取り組む中小企業の実態を見る機会があった。中小企業の経営者は、自社が活動している業界の技術的な知見や販売の実務等には詳しいが、自社あるいは自社が属する産業界が直面するマクロ的な経営環境については関心が薄いのが実態である。加えて、海外との取引開始や直接投資を決断する時に、経営者の直感や個人的な人脈、取引先からの依頼、競合他社の後追い、などの理由により十分な調査や社内の合意形成を行わずに意思決定するケースも多く見受けられる。小生が関わった埼玉県の中小企業の例では、現地企業の経営者と意気投合した同社の社長は十分な調査も行わず中国での一
手販売権を与えており、その代理店契約書(中国語)には年間販売量などの規定は一切記載されていない例があった。そこには、自社が中国市場でどのような事業展開を目指し、どのような販売戦略や代理店選定を行うべきかという「戦略」は見えてこない。
 これまで国内で完結していたバリューチェーンが、その生産拠点や販売活動等を制度や価値観の異なる海外へ移転することにより、それに伴うリスクが増大することは明白である。我々中小企業診断士が海外展開支援を行うについては、海外展開を志向する中小企業を取巻く外部環境の評価・分析を行うと共に、海外展開に係るリスクを認知させたうえでまずは中小企業の経営努力で対応できる項目について経営者の注意を喚起し、十分な準備を行うよう助言することが重要であると考える。もし、必要にして十分な体制が取れない場合には、計画している海外展開について「NO」という勇気も求められる。また、企業の代表者が自ら決断した海外展開事業がうまく行かない場合に、社内で「撤退」の議論が行われにくい雰囲気となり、傷口が広がるのは良く見られるケースである。こうした場合でも「外部専門家」としての立場を活用し、「撤退」の議論を始める契機を作ることが求められよう。
 企業がその生産拠点や販売活動等を異なる場所へ移して市場の獲得を目指す行動は、レベルは異なるが国と国との戦争行為にも喩えられる。実際、「経済戦争」という武器を用いない国家間・地域同盟間の争いは2国間のFTA/EPAや多国間の地域経済協定などによる「囲い込み」を含めてますます激しさを増している。こうした条約や協定の制度が導入されていなかった19~20世紀には欧米列強が武力に訴えて植民地や市場の獲得に狂奔していた。日本にも「日露戦争」と「太平洋戦争」という「勝戦」と「敗戦」という対極の経験を招いた大戦があり、どのような要因から「勝戦」と「敗戦」を招いたのかを多くの識者が分析し、書物にまとめられている。これらの分析(帝国海軍を中心とした)結果は概ね以下のように整理ができそうである。

比較項目
日露戦争
太平洋戦争
1.戦争目的 露の南下政策への対抗 中国大陸利権に対する干渉への反発と資源確保
2.装 備 世界最先端の艦船を英国より調達 大艦巨砲に拘り航空兵力の整備に遅れ
3.戦闘計画 日本海海戦への兵力集中 ハワイとマレー半島の2正面戦略
4.内部統制
中央と現場が一体 中央と現場に意思疎通不足
5.戦闘態勢 艦隊司令長官が現場で指揮 艦隊司令長官は後方で指揮(現場は経験の浅い将官)
6.終戦シナリオ 開戦時から米国の仲裁を想定 日英同盟を失い仲裁者を見出せぬまま開戦

 分析によれば、日露戦争と太平洋戦争は前者が局地戦で決着が着く戦いであったのに対して後者の場合は国を挙げた総力戦となっており、艦艇建造能力で4.5倍、飛行機生産能 力で6倍、鉄鋼生産能力で10倍も大きな米国に対し国力に劣る日本は、戦前から「勝ち目のない」戦争であったとしている。それに加えて、軍隊が肥大化して内部統制が機能せず、戦争指導者には緒戦の成果に浮かれた「奢り」が見られ、日露戦争の時のような「真剣さ」が欠けていた、と分析している。



中小企業の海外展開支援を行ううえでの教訓
 こうした負けるべくして負けた要素を整理して中小企業の海外展開を検討する時に教訓とすることは、それなりの意味があると思われる。以下の4点にまとめて整理して見た。

1.敵の戦法を知る
 太平洋戦争時の戦争の様相は、日露戦争で勝利した「大艦巨砲」主義から、その後急速に発達した航空機が戦闘へ参加したことにより「飛行機とレーダー」の時代へと変わっていた。日本はこうした戦闘態勢の変化への対応が遅れていた。太平洋戦争の開戦時に建造された「大和」や「武蔵」の巨艦は燃料不足から満足に活動できず、戦争の終盤になりようやく出撃しても米国の主力艦隊と対峙する前に米国空軍の攻撃であえなく海の藻屑と消え去っている。米国は真珠湾で戦艦を沈められても航空兵力と空母群を中心とした機動部隊により反撃に転じ、ミッドウエー海戦では日本軍に壊滅的な打撃を与えて戦争の帰結を事実上決している。日本軍は、真珠湾攻撃で敵の航空母艦を破壊できず(外洋に出ていた)、また燃料タンクや艦船の修理施設への攻撃を行っていない。これが米国の反抗を早める原因になったとされる。中小企業の海外展開においても標的市場や競合企業の動きを絶えず注視して、「勝ち目のある戦い」を計画することが重要である。
2.兵力の分散
 太平洋戦争では、国力に劣る情勢にありながら海軍がハワイ攻撃、陸軍はマレー半島上陸作戦の2正面作戦を展開したため、「絶対国防圏」をはるかに越えた戦線の拡大により体力の消耗を来たすこととなった。経営資源に劣る中小企業においても同じようなミスを犯すことは許されない。中小企業の事業戦略ではランチェスター戦略のような極めて限定されたニッチ市場で小さな経営資源でも戦えるような戦略の採用が望まれる所以である。
3.内部統制と戦闘態勢
 日露戦争では中央(海軍省)と現場(連合艦隊司令長官)が深い信頼関係で結ばれており、また東郷司令長官自らが戦闘現場で指揮を執っている。これに対して、太平洋戦争では山本司令長官が策定した奇襲による真珠湾攻撃の作戦を巡り中央には反対意見が多く、作戦の内容についても議論が尽くされないまま実施に移されたとされる。それまでの伝統的な「漸減激撃戦略」から、奇襲による「積極攻勢決戦戦略」への劇的な変化に対して十分な理解と支援を得ることは難しかったようである。また、山本司令長官は自ら策定した作戦にも関わらず後方において指揮をとり、現場へは航空戦に経験の浅い南雲中将を送っている。中小企業の海外展開においても、経営者自らが短期間でも現地で生活して進出予定先の経営環境を自ら肌で感じることで、はじめて正しい判断ができる。また、いったん海外展開を決断したら信頼の置けるスタッフを配置し、配置したスタッフを信頼し全力で 支える努力が必要となる。経営者の確固とした覚悟と支援体制作りが求められる。
4.終戦シナリオ
 戦争行為は未来永劫に続く行動ではなく、「どのくらいの成果を得た段階でどのような手打ちを行うのか」を描いた上で始めるべきとしている。その点では、日露戦争は日本の国力に限界があることを自らが認識し、はじめから長期戦になる前に米国による仲裁へ持ち込むことを想定していた。海外での企業活動では現地パートナーとの合弁方式を取ることが多いが、パートナーとの関係も緊張関係の中にあることは言うまでもない。企業活動が計画したとおりに行かない場合にはどのような対処方針を取るのか、あらかじめパートナーと議論して合意しておくことで不要のトラブルを防ぐことができる。また、不幸にして話し合いによるトラブルの解決が難しい場合には、「仲裁」や「裁判」の具体についても検討しておくことが必要である。

以上

参考資料:「海戦から見た日露戦争」戸高一成2010年12月
     「海戦から見た太平洋戦争」戸高一成2011年11月
     「日米開戦と山本五十六」「歴史読本」編集部2011年11月



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