海を渡ったトウフ 豆腐からTofu (後篇)

国際部 飯崎

 

 前篇では、豆腐の生い立ちに始まって、アジアの一地域特有の食べ物だった豆腐が、近代になって大豆栽培が世界中でできるようになり、アジア系の人々の移住が進むとともに世界各地に持ち込まれていったこと、しかし、豆腐食はついこの間までアジア系コミュニティーの内部にとどまっていたことを見ました。

 

その豆腐食をアジア系以外の人たちに広めようとしたのは日本人、日本企業です。ターゲットは日本食が広まりつつあった潜在的大市場アメリカ。乗り込んだのは、ハウス食品と森永乳業です。あまり知られていませんが、日本では中小企業分野調整法という法律があって、大企業が国内で豆腐事業を行うことには大変な制約があります。そこで両社は海外に活路を求めたということもあったようです。ハウス食品は1983年に現地でハワイ出身の夫妻が営んでいた豆腐工場に資本参加する形で、森永乳業は1985年に自社開発の完全滅菌充填パック豆腐(ロングライフ豆腐-MORI-NU豆腐)を日本から輸入販売する会社を設立する形で、いずれもロサンゼルスに進出します。

日本食レストラン、アジア系コミュニティーは有力なマーケットですが、そこだけでは画期的な消費の拡大は望めません。コミュニティーの外、白人層に普及させることが至上命題でした。しかし、それは並大抵の苦労ではありませんでした。健康によい食品として豆腐の名前は一部には知られていたものの、取り扱うスーパーも少なく一般のアメリカ人には縁遠い存在。なじみのない人からすれば、豆腐は真っ白でぷよぷよした面妖なしろもの、何の味もしない、原料は家畜の餌である大豆だという、自分たちが食べるまともな食品ではない、と思われてもしかたがなかったのではないでしょうか。

森永乳業の現地法人で20年間社長を務めた雲田康夫さんが著書で当時の苦労を語っています。いわく、‘87USA Todayのアンケート調査による「最も嫌いな食べ物」で豆腐は断トツのNo.1’92年ロス暴動の際スーパーのあらゆる食品・日用品が略奪にあう中MORI-NU豆腐だけは素通りされて無事だった, 売り込みに行って商品の説明をしたらペットフードの担当者の所に案内された, 喜んで食べているというベジタリアンのサム君とはペットのワンちゃんだった,麻婆豆腐の調理実演をやったらそのソースが欲しい、豆腐はいらないと言われた --- 。異境での文化の伝道の大変さがしのばれるエピソードです。

涙ぐましいマーケティングの手法はいたって正攻法です。戸別訪問で商品を説明して取り扱ってくれるチャネルを増やす、そしてあらゆる機会を使ってTofuの名前を売り込む。CMを打つ、調理デモンストレーションを行うなどの通常策のほか、自分の乗る車のナンバープレートをTOFU-Aにしたり、マラソン大会のスポンサーになるだけでなくTOFUの着ぐるみを着て走ったりとかの奇策も ---

 

そして何よりの方法は、味付けとしての「醤油と味噌」へのこだわりを捨てたことでした。郷に入っては郷に従えというわけで、Tofuのアメリカ流の食べ方を集めてレシピ本にして紹介、料理の講習会や試食販売を行います。Tofuは健康に良いから食べるものではなく、美味しく食べられる食品なんですよ、とのアピールです。こうして日本では思いもよらないTofuの食べ方が広がっていきます。お肉代替の蛋白質食材としてトーフステーキくらいは思いつくところですが、角切りにして野菜と一緒に炒めた野菜炒め(沖縄のチャンプルーのイメージか?)、押しつぶして挽き肉代わりにして調理、果物とミキサーで混ぜてドロドロのスムージー、ケーキやパイ生地の材料、クリーム状にしてカナッペ、等々。

調理法に合わせてHouse MORI-NUも、絹・木綿の区別だけでなく堅さを違えた製品のバリエーションを増やしていきます。広大な北米大陸をカバーする上でMORI-NU はロングライフ豆腐でしたから賞味期限の問題はありませんでしたが、Houseは水漬けの昔ながらの豆腐でしたので、熱湯で湯通し後に冷却水で急冷する低温殺菌技術を開発し賞味期限を65日に延ばすことに成功します。Tofuはアメリカでアメリカのニーズに合った使い方を考えられて、それに合うように適合していったと言えるでしょう。


  
       House Premium Tofu          Tofu Lemon Pancake           Tofu Mushroom Spread


             
             Vegetarian Lasagna                Tofu Shirataki
                                                
豆腐+こんにゃくでパスタ感覚大ヒット商品に

     
   MORI-NU silken tofu SOFT       MORI-NU Nigari TOFU          Hawaiian Smoothie

            
           Mixed Medley Stir Fry                 Tex Mex Scramble

  *(注)ハウス食品㈱、森永乳業㈱のご了解を得て画像を転載しています。

 

こうした日々の努力の積み重ねが実を結んで、Tofuは次第に庶民にも知られるようになって販売量が伸びていきます。ハウス食品の100%子会社になっていたHouse Foods Americaは手狭になったダウンタウンの工場に替えて1997年にロサンゼルス郊外のオレンジカウンティに新工場を建設、奇しくも同じ1997年にMorinaga Nutritional Foodsはオレゴンに工場を建設して輸入販売から現地生産に切り替えます。そして1999FDA(米国食品医薬品局)が大豆蛋白が心臓病に効くと発表したことで、豆腐は健康食品として“市民権”を獲得。アメリカ政府のお墨付き得て、Tofuは低カロリー、高蛋白質のヘルシーフード(しかも安価!)として一挙に販売を拡大します。その勢いは欧州にも飛び火し、Tofuは世界食になっていきます。

雲田さんの著書によれば、日本から製品を輸入する時、通関書類には英語表示を併記することが義務付けられていたため “soy bean curd” と表記していたのが、ある日から “Tofu”のままで通関がきれるようになったとのこと。「醤油の原料である豆のしぼり汁を凝固させたもの」だったものが、“Tofu”として認められた瞬間でした。そしてそのままTofuは世界語になっていきます。

 

Tofuが世界食になるのに、こうしたアメリカでの日本企業の奮闘のほかにもうひとつ忘れてならないことがあります。日本の豆腐製造機です。食べ方こそ違いますが、今や世界では白くて四角い豆腐が主流、もともとの大豆食文化圏であるアジアも含めて日本式の煮搾り法が浸透しています。日本の豆腐製造機がその技術の優秀性、パフォーマンスの良さで世界に選ばれ、効率的な大豆食品である豆腐の生産をより効率的にして、豆腐生産の拡大、豆腐食の普及に貢献しています。

製造とマーケティングに費やされた日本企業の努力。中国から伝来した豆腐が、日本語由来のTofuとして世界食になったのもむべなるかなといったところではないでしょうか。

【主な参考文献】

雲田康夫「豆腐バカ 世界に挑む」光文社(2006

日経ビジネスONLINE 2012.12.19 記者の目「米国豆腐シェアNo.1の『超意外』な企業」


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