商店街とは、その形成の歴史と商業政策

中小企業診断士 鈴木 隆男

 

はじめに
 我が国の店舗数は、昭和57年の商業統計の172万店を頂点に減少を続け、平成26年の統計では103万9千店となりました。この間に減少したのは従業員4人以下の商店街区に多く見られた小規模店舗です。  
 かつて旺盛な購買力に支えられ賑わっていた商店街は、大型店の出店で衰退し、そして今ネット社会の進展と人口減少の時代をむかえ地域が縮小するとき、それに合わせるように店舗数を減少させています。

1.商店街とは何か

(1)空間概念と組織概念しての商店街 

 駅前には、多くの商店があり商業集積地区を形成しています。一般的に商店街を指す場合これらをいい、自然発生的に形成された街区です。商店街とは通りの一定の空間で形成された商店の集積です。街区の特徴は、店舗ファサードと付属物のオーニングや袖看板等の第2次輪郭線で形成されています。
 自然発生的に形成された街区の商業者によって人為的に組織されたのが「組織概念としての商店会」で、事業協同組合、振興組合の法人組織と任意組織があります。


(2)商店街組織の役割・機能について
①相互扶助組織
 地域商業者の相互扶助を目的として組織化され、イベントや中元・歳末大売り出しなどの共同経済事業(ソフト事業)、アーケード、アーチ、街路灯設置などの環境整備事業(ハード事業)を行っています。診断士の支援対象は、この組織(経営体)でソフト事業、ハード事業、補助金申請など幅広く行わています。
 消費者(来街者)の立場から見ると駅前等の商店街は一つに見えますが、組織概念から捉えると複数の商店会に分かれていて「商店街」という言葉が曖昧に使われ、受け止められています。
②支援対象としての商店会組織
 我々中小企業診断士が診断や支援するのは、この組織(経営体)ですが、企業の経営改善などの支援と異なり難しくなっています。この原因は、ア.組織の意思決定構造、イ、組織の多様性にあると考えられます。また、組織である以上、どのような事業活動を行うかが重要となりますが、商店街組織により落差があり、イベントや空き店舗対策、トレンドなまちゼミを行うなど積極的活動を行う反面、定番的な中元・歳末大売り出し、街路灯の電気代の徴収を主とするなどその活動は様々です。
 商店会組織は、個々の商業者の集積体で、その構成は、大手チェーン店に代表される革新的商業者から老舗といわれる伝統的商業者まで、その規模も大小さまざまです。


(3)商店会組織における意思決定構造
①意思決定の二層性
 商店会組織は、個々の商業者の集合体であるため、その意思決定は、個々の商業者の意思決定と商店会組織の意思決定があります。最初に個々の商業者の意思決定があり、次に商店会組織の意思決定があるため、組織の意思決定が従となる場合が多くなっています。
 例えば、商店街の近くに大型店の出店が決まった場合、商店会は反対を決めますが、組合員の商業者がテナントとして出店することもあり、個店の店舗戦略や商店街を取り巻く問題に対する認識の違いにより、必ずしも商店会の意思決定が個店の意思決定に影響を及ぼすとは限らず個店の意思決定が優先されます。
②商店会組織の合意形成 
 企業はトップダウンの物的結合体ですが、商店会組織は、ボトムアップ的な地縁で結ばれた人的結合体の相互扶助的な組織で、平等性と任意性が担保されています。
 平等性とは、組合員の協調・協力を基に、各個店が不足する経営資源を相互補完することを目的とした協同組合形態で、組合員相互の共同経済事業や福利厚生事業などを行うのには適していますが、迅速な意思決定や戦略的な意思決定には不向きな側面があり、これを組織として行うには大きな困難が伴います。
 任意性については、個々の商業者の自主的な参加により、相互に協力することで組合が定めた目的を達成する組織のため、街区内の商業者を強制的に加入させるものでは有りません。また、組織決定が個別の商業者の意思と異なる場合は退会ができるため合意形成では、最低の線での決着する場合が多く、総論一致各論不一致になる傾向が多く発生しています。
商店街は、「組織」としての活動があまり得意ではなく、利害の調整が難しい性質を持っています。商店街の盛衰は、競争という原理に大きく左右されることを意味します。個々の小売業者が、自分の店の利益を最大化するべく競争を展開することが、結果的に、商店街全体の魅力を高めたり、逆に魅力の乏しいものにしたりします。(満園勇2015年北大)


2.全国の商店街が衰退した主な理由
 全国の商店街が衰退した主な理由には、外的要因と内的要因の 2 つがあります。

(1)商店街衰退の外的要因

高松丸亀商店街 壱番街

                            
 

 外圧的要因には時間軸があり、昭和40年代に入ると大型スーパーが進出が始まり、地域商業者との競争が激しくなります。そのような外部環境の変化に対して、昭和48年に第 2 次百貨店法が小規模小売店保護の立場から、廃止され大規模小売店舗規制法(大店法)が施行されました。                    
  昭和40年代には、ダイエー、ヨーカドー、ジャスコ(現イオン)などが、駅前や中心市街地に店舗を構えるようになりました。しかし土地の取得に関して、地域商業者との調整、事業用地の取得、賃貸料の高さ、駐車場スペースの限界などから、モータリゼーション進展の影響もあり昭和50年代の中ごろから郊外、ロードサイドに出店するようになると中心市街地の店舗の撤退が始まり、特に地方都市の中心商店街の衰退がはじまります。
 平成に入ると日米構造協議行われ、日本の閉鎖的は経済体制を開放する要求が強くなり平成12年に大店法が廃止され、まちづくり 3 法が施工され小規模小売店保護では、大規模小売店舗立地法(大店立地法)が制定されたが、大型店への規制ではなく周辺の環境への配慮であり、郊外やロードサイドには巨大ショッピングモールができるようになりました。
 中心市街地に目を向けてみると食品スーパーやコンビニが進出してきて、まず影響を受けたのが生鮮 3 品店です。日常的な買い物を行う商店がなくなると商店街への消費者の来街頻度が減少し、買回り品を取扱う商店も影響を受けるようになりました。            


(2)商店街衰退の内的要因
 内的要因ですが、商店街の客を奪う大規模小売店舗の開設など、いわば街の外にある勢力「外の敵」の問題が強調されました。その一方で、衰退の問題を「外の敵」にのみに原因を求める視点の不十分さに商業者が、気付き始めて来ました。「街の外」だけではなく「街の内」にある問題性が、強く意識され始めてきました。それは、商店主自身によって「商店街を構成する店のやる気や魅力がない店に何故顧客が集まってくれるのか。外の問題を云々言う前に個店の魅力を高めていかねばならないのだ」というように、商店主たちに意識され、問題が「大規模店に客足をとられる」「駐車場がない」といった問題から「後継者難」、「魅力ある店舗の不足」「商店街活動への意識の低さ」などにシフトしたことに現れています。
 この「街の内の敵」の問題を早い段階から指摘したのが、石原武政・石井淳蔵 (1992)「街づくりのマーケティング」(日本経済新聞社)です。石原・石井は、フィールドワークを中心とした丹念な記述のうちに、「街の内の敵」の存在を暴くとともに、特に「街づくり」ひいては「商人たちの共同事業」の観点から、この問題への対処の可能性を示しました。しかし「内の敵」へのアプローチにもなお限界が残されていました。それは「内の敵」のさらに内にある問題、すなわち、商店主個々の問題の存在でした。そして、この問題に迫ったのが石井淳蔵 (1996) 「商人家族と市場社会-もうひとつの消費社会論-」(有斐閣)でした。石井は、商店街や小売市場での商店経営のより本質的な単位、つまり「商人家族」に分析の焦点をあて、より本質的な問題を提起しました。この「商人家族」に内在する問題を先の「外の敵」「内の敵」に対して「内々の敵」と呼びました。
 簡単に説明すると商店街隆盛の時代に商売で儲けた資金で子息を良い大学に入れ後を継がせようとしましたが、親が朝早くから夜遅くなで働いている姿や商店主自身が販売、仕入、会計などほとんどすべてを行わなければならない個人事業主に見切りをつけ始めたということでした。


3.近代化での商店会組織の形成
 明治初頭の日本の人口は、約4千万人でしたが、人口の増加とともに都市化が進み多くの人たちの日常生活の物資を賄う商業が発展しました。明治時代には、竹盛会(現:佐竹商店街)、心勇会(現:心斎橋筋商店街)の結成、黒門市場公認市場許可、小倉魚町が「えびす市」開催、大正3年三条会(現京都三条会商店街)を結成してスタンプ事業を日本で初めて開始しました。


(1)商店会組織の法整備
 昭和に入ると国による法整備が進み、昭和7年に商業組合法が作られました。この法律の目的は、百貨店の大衆路線化により中小の商業者が圧迫される中で、中小零細商業者による組合設立を認め、共同施設を設置し、百貨店に対抗できる共同仕入体制の構築と営業に関する統制・指導を目的としました。施設の整備は、中小零細商業者を保護・育成により地域住民の新しい生活インフラの実現を目指しました。昭和12年、中小零細商業者との紛争を調停するため第1次百貨店法が制定されました。
 その後、戦時下の昭和18年に商工組合法が制定され、これに統合され商業組合は廃止されました。


(2)戦後の商店街組織と法整備
 大戦で日本の大半の都市空間は廃墟となり、基幹産業は壊滅、大陸からの引揚者、物価秩序はインフレーション、配給制度、闇物資の流通により混乱を呈していました。都市には大勢のにわか商人が出現し小規模零細な事業者として商いを行うが、粗悪品の流通は主婦による消費者運動を引き起こしました。
①戦後の国の商業政策
 昭和22年にGHQにより第1次百貨店法が廃止、昭和24年に中小企業等協同組合法が制定、商店街の法人化が進みました。この制定の目的も戦前の商業組合法と同じでしたが、1つ異なったのが政策形成集団として力を付けたことでした。そして昭和31年の第2次百貨店法の制定へとなりました。
②商店街振興組合法の公布
 昭和37年には3年前の伊勢湾台風をきっかけに商店街の単独法として振興組合法が公布されました。物資の流通が麻痺する混乱の中で、市民の日常生活に商店街の小売機能の迅速な復興が求められ、政府は復興のための補助金対象を法人と決めました。法人には事業協同組合がありましたが、同業種的協同組合では地域団体的商店街にはそぐわないため、愛知県商店街連盟を中心に振興組合法成立に動いて行きました。政策形成関係者として大きな力を付けていった商店街は、昭和48年の大規模小売店舗法(大店法)の制定へと向かい、同様に大きく成長してきたダイエーなどの大型店との商業調整の時代へと入っていきました。大勢の買物客でにぎわった商店街が地域の顔として大きな存在感を見せていた時代です。


(3)商業調整の時代の終わり
 日米の貿易格差を縮小する目的で行われた日米構造協議で平成2年にアメリカが「大店法を地方自治体の上乗せ規制条例を含めた撤廃」を要求しました。翌年、商業活動調整協議会(商調協)が廃止され、大店法の運用は大幅に緩和され、各地で大規模ショッピングセンターの進出が展開されました。平成12年まちづくり3法が成立、大店法は廃止され、我が国の流通政策が大きく方向転換をしました。


4.都市と商業の階層性

再開発で大きく変わった武蔵小杉駅前商店街

                  
 都市は、政令指定都市、県庁所在地都市、周辺都市など歴史を経て階層構造を形成し、下位の都市は上位の都市に依存しています。商業は地域性が強い産業のため都市と同じような順位で階層性が成立しています。超広域型、広域型、地域型、近隣型商店街と分類され、専門商品や買い回り商品は上位の都市の商店街に吸収されます。もちろん階層性は一の都市の中にも存在し、都市特性により商業の性格は異なっています。都市や商業の階層性は固定的なものではなく、周辺部への大型店の進出、高齢化・人口減少により大きく揺らいでいきます。
 都市である以上、都市計画法の適用を受けます。都市計画は、将来の都市の在り方を、現時点であらかじめ決めることで、土地利用規制、都市施設整備、市街地開発を定め、財源を用意し実施します。人口減少時代を迎え、集約型都市構造をめざし中心部へ公共公益的施設の適切な更新、再配置が重要な課題となり、都市構造の特性に合わせて変える必要があります。このことは、都市の中での商業の階層性にも大きな影響与えていくことになります。


                

5.商店街支援策の変遷

 南方健明氏(大阪商業大)は、地域商業の経済的機能強化は、地域商業の社会的・文化的機能強化の視点から支援され、「まちづくり政策」の中に地域商業政策が埋め込まれていく過程としました。


(1)中小小売商業振興法制定の背景と目的
 我が国の商業振興政策と商業調整政策は、大型店問題に対応して策定されてきました。商業振興政策の中心となる中小小売商業振興法(昭和48年)制定された背景には大店法の規制緩和があり、同法は昭和38年に制度化された共同施設事業、小売商業店舗共同化事業、小売商業等商店街近代化事業等の高度化資金助成制度を始めとする流通近代化政策の中で、中小小売商業の総合的・体系的な振興を目的に制定されました。
(2)地域商店街活性化法の制定
 平成21年同法が施工され、新たな商店街のあり方として「地域コミュニティの担い手」と位置付けられ、商店街本来の商業機能を強化する取り組みが必要とされました。中心市街地活性化法の認定外の商店会も意欲がある者は重点的に支援すべきとしました。


6.商店街を取り巻く環境変化
 日本型流通の歴史に重要な地位を占めていた商店街は、消費(の論理)と労働(の論理)と地域(の論理)が総じてバランスがとれていた。現在の商店街をベースとした「まちづくり」の困難性は、「消費の論理」と「地域の論理」が接点を持ちにくいところにあり、商店街をベースとした「まちづくり」が商業機能(モノの売り買い)と結びつかないのであれば、商店街というかたちはやがて消えていくでしょう。(満園勇2015年北大)


(1)商店街のフリーライダー問題
 商店街組織には加入脱退の自由があり、組織の制度上、フリーライダーが存在することは避けられず、そのような組織がアーケードなどの不動産の所有することの将来的な弊害を論じています。石原(2014) 
 フリーライダーの代表格が大手チェーン店や他地域からのテナント出店者になります。地域商業者の相互扶助を目的として組織化されたのが、商店街組織と定義される以上、大手チェーン店に商店街会員となることには、矛盾があります。しかし、商店街組織を維持するためには、加入を勧めなければならないトレードオフが発生します。


(2)新しいまちづくりの可能性
 費用を負担しないにもかかわらず、利益を得ている「フリーライダー」は大きな問題と考えられます。 この問題に対応するため、2018 年に地域再生法が改正され、官民が連携してエリアマネジメ ント活動を促進することにより地域再生を実現する「地域再生エリアマネジメント負担金制度」が創設されました。
 人口減少やそれに伴う地域経済の縮小という課題に対応し、地域再生を実現していくためには、企業の経済活動や人々の生活の基盤となる「まち」の活力を維持・向上していくことが求められますが、行政だけでは限界があるため、いかに地域を構成する多様な関係者の力を引き出し、活躍してもらうかが重要です。 この点、エリアマネジメント活動は、来訪者や滞在者の増加による賑わいの創出等を通じて、地域における就業機会の創出や経済基盤の強化に寄与し、ひいては地域の価値の向上を実現するものであることから、法的に、エリアマネジメント活動を促進するために位置付けられました。


(3)ネット・デジタル時代への対応
 今回のコロナ騒動で、3密になる従来の商店街イベントによる集客を今までのように行えなくなり、今までとは異なる対応が求められます。キャッシュレス化の拡大、ネット販売・宅配の増加、Uber Eats利用拡大、リモートワークの拡大を商機としてとらえ、例えば、事業者や商店街で出資し事業会社を設立し、まち・商店街全体の新規事業としてネット販売・宅配の開始やクレジット会社と団体契約を行うことで手数料率を下げるなど新しいことを考えていくことが必要になります。
 新しい常態となった今、失敗を恐れるのことのないマインドで、業種・業態の違いを超えて新しい取り組みに向かい合うことが大切です。